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2008.01.16

新成人におもねる文部科学大臣

団塊のオッサンが反省もせず。

間違いを認めると、自己否定になるもんな。

「ゆとり教育」代名詞の新成人を擁護 渡海文科相

2008.1.15 11:33

 「ゆとり教育世代を一くくりにとらえないで」…。現行学習指導要領で学んだ「ゆとり世代」がインターネット上の掲示板などで低学力の代名詞として扱われていることをめぐって、渡海紀三朗文部科学相は15日、閣議後の会見で反論。「そう見る必要は全然ない。一つの世代を一元的にとらえることはなかなかできない」と強調した。

 「ゆとり教育」と呼ばれる現行学習指導要領は小中学校で平成14年度、高校で15年度から始まった。新成人は高校3年間すべてを現指導要領で学んだ初めての世代とされる。

 渡海文科相は「ゆとり世代」について、「『最近の若い子は』といわれるが、世代が変わると文化、価値観、興味も変わる。一概に今の若い人の行動をわれわれがどうこう言うのは適当ではない」と述べ、ことさら憂慮(ゆうりょ)する必要はないとの認識を示した。

 さらに、新成人を迎えたことについて、「これからは若い人が活躍する世代になる。彼らの未来に期待したい。現在の思いを忘れないでほしい」とエールを送った。

確かにね、「単純な世代論」ってのは馬鹿らしい。

しかし、この文部科学大臣のオッサン、言っていること自体が矛盾しているっての。誰も気付かないのかね。「世代が変わると文化、価値観、興味も変わる」という考え方ならば、世代によって価値観が異なることを認めているわけで。『ゆとり世代』という、ある種の特徴のある世代について「そう見る必要は全然ない」と断言しているんでしょ。矛盾もいいところ。

ちなみに言っておく。親が子を訓育すること、大人が子どもを教育すること。この営みが時代によって姿や価値観まで変わっても良いという考えは間違い。動物を見よ。何千年経っても、変わらぬ子育てをやっている。愚かな人間は、チンパンジーやライオン、犬の子育てから学ぶべき。

話を世代論に戻す。まあ、そりゃ各個人で見ていけば世代論なんて、そんなのカンケーネー。一生懸命、勉強をやった人もいれば、親からの厳格なる教育と愛情を注ぎ込まれた人もいる。ただし、全体としてどうかという見方も必要でしょ。全体の特徴を「なんちゃら世代」と表現すること自体は、全然悪いことやない。

この文部科学省のオッサンこそ、まさに「子どもにおもねる団塊の世代」と言ってよい。こういうオッサンらの言動が、戦後の日本を悪くしたわけ。「ゆとり教育」も間違いならば、同時に「子どもの人権至上主義」の子育ても大間違い

おかげで、これらの世代の学力がどうのってことも少しは気になるけど、それより「自分の言動の否は認めず、悪いことは全部、他人のせい」にする青年・成人が増えてしまいましたよ。大学生とか見ていても、内省できない子が増えているんやから。それに、目先のことしか判断できない連中も多くなっている。

まあ、この団塊世代の大臣が反省も出来ないオッサンだということなので、やっぱり単純な世代論には意味がない。

世代論よりも個人の言動を見る。これが基本。しかし、時代と共に価値観まで変容しているのが事実ならば、ある種の世代論というのがあって当然。「自分は違う」という思いがあるならば、世代内で闘争せよ。同じ世代のだらしない連中を、同じ世代が叩けばよい。

いつも言っているように、文部科学省はさっさと「教育危機宣言」をしろ(日教組のスローガンとは違う! てゆーか、日教組が危機に追い込んだ頭目で、今は親米自民党)。「憂慮する必要はない」などと呑気なことを言うている大人は、どんな立場であろうと居酒屋のオッサン以下。

 

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Posted by 奥田健次 教育, 社会, 経済・政治・国際 |