たまには仕事のことを(研究室の惨状はオマケ)
先日のこと。3歳の頃から関わっている自閉症の男の子のセラピー。開始当初、簡単な言葉を絵カードを利用してオウム返しさせながら教えていたような子どもさんでした。
もうすぐ2年近くになりますが、ABA(応用行動分析)やら行動療法を駆使して、驚くべき進歩で成長を遂げています。
ドアを開けて来たときから、笑顔いっぱいでした。
ご挨拶をするなり、「せんせいと一緒に遊ぶよ〜、今日は」なんて言います。のっけから自然な会話にちょっと感激。
自分も率直に「うわあ、Aちゃんは、いっぱいお話しが出来るようになったねえ」と言いますと、「うん!」とこれまた見事に自然な受け答え。
「お話し出来るようになって楽しい?」と聞いてみたら、「うん、楽しいよ!」とこれまた自然な会話になってます。感激して涙が出そうになりました。
セラピストとしては「自分が教えた言葉を使ってくれている」という、ちょっと独りよがりかもしれない満足感や達成感が、実はこの仕事を続けるにあたって、お金や名誉よりも効き目のあるファクターになっているのです。
数年前、教えた子どもが大きくなって手紙を書いてくれたときも感動しました。言葉もゼロから教えましたし、文字を書くのも指をマジックのインクだらけにしながら繰り返し教えました。教えた自分の癖が出ている文字なんですね。
ただし、こういう心境になるまでにはそれは血の滲むような修行の連続あってのことです。もちろん、まだまだ修行中。誰にも負けない修行を死ぬまで続けます。「こうすれば、もっとよかった」「こんなことは、しないほうがよかった」など、いろいろな失敗や反省もたくさんあります。だからずっと修行なのです。
しかし、こんなことだけ言っていると本当に独りよがりな感じがします。
ここには当然、親御さんの支えがあるわけです。といいますか、これが本当は一番大きなファクターなのですね。自分はほとんどの場合、親御さんのやってきた方法、場合によっては考え方まで否定することは多々ありますし、ほとんどすべての親御さんに修正を求めています。自分のやっているセラピーは、外科手術のようなものです。毒にも薬にもなります。当然ながら、親御さんには自分と同じように外科手術ができるわけありません。
このAくんの親御さんも、自分の言うことを最初から最後まで信じてやってくれました(最初は自分の見た目の学生っぽさのために、信じてくれていたかどうかは怪しいですが)。自分が「これは家でもやるべき」「これは絶対にやらないで」など、かなり具体的な処方箋を出すわけですが、基本的に言うとおりにやってくれます。言うとおりにやってくれると、当然ながらうまくいきます。ちょっと違うやり方をやったら、うまくいかないわけです。これを親御さんも何度か経験されると、当然ですが自然に信用してくれるわけです。
最初から信用してくれていたわけですから、それは当然、驚くほどに改善するわけです。
だから、本当のところは「独りよがり」なんてあるわけがなく、自ずと親御さんの支えを必要としている仕事ですから、自分の達成感や満足感の中には「親御さんの理解と協力」が含まれているわけです。したがって、共に喜ぶことができるのです。
問題を乗り越える度に、常に「一緒に乗り越えた」という感覚が得られます。決して、「俺のお蔭だ!」などと思うことはありません。親御さんの協力を前提としている以上、そういう心境になることはありえないのです。
外科手術に似ているところもあり、違うところもある。そういったところでしょうか。いずれにしても、子どもらの(そして親御さんの)成長に関わって成果を出すことが、自分には麻薬のようなものといえるでしょう。体を壊しても、やめられないわけです。
少し編集してアップしていただいた親御さんの気持ちについては、興味のある方は奥田研究室ホームページの「相談活動」をご覧下さい(保護者の声1、保護者の声2)。
さて、前のエントリーの内容が不明というご意見をいただきました。面白おかしく書いていますが、書いていることは作り話ではありません。内容について説明するつもりはありませんが、「研究室が意外に綺麗ですね」「整然としていますね」という実態と異なるコメントやメールをいただきましたので、実態を少しお見せしましょう(画像をクリックすれば拡大されます)。
まず、入り口のドアから眺めた光景。テーブルの上には物を書く隙間もないほど、書類や書籍を平積みしています。左手に見えますのは、高さ240cmのヤシの木でございます。さらに、ヤシの木の手前にはデッキチェアとパラソルがあります。つまり、研究室の中が限りなく南国っぽいグリーン。すべて自腹で買いました。
そうそう、このパラソルにはエピソードもあります。ある日、大学の事務員さんが自分への用事のために、初めて奥田研究室を訪問したときのことです。自分が書類に押印するのを忘れていたため、それを持ってきてくれたわけです。ドアを開けるなり「奥田先生、書類に印鑑を…。うわあ、センセ、お部屋の中にパラソルですかぁ?」と驚かれたので、自分は真顔で「すみません、自分、紫外線に弱いもんですから」と答えました。この事務員さんは真面目に「それは大変ですねえ……、では書類に印鑑を」というリアクション。ノー・ツッコミ。こういうのを『ボケ殺し』と言ったりします。この生真面目な事務員さんのお蔭で、自分は「紫外線に弱い男」と認識されてしまったわけです。そこは最低でも「なんでやねん!」とか「南米か!」などと言って欲しかった。
2枚目。昨日の写真の背景をもう少し後ろから撮影。左手にはヤシやら南国グリーンがやっぱり見えます。本棚は天井まであります。右側の壁一面が本棚。その向かいの壁一面の保管庫も本棚になっとります。
図書館で専門書を借りるのが嫌な自分は、もっぱら自腹で購入しています。最近は新しく購入した本を置くスペースがなくなりつつあります。北方領土をなんとしても返していただかねばなりません。外資に皇居周辺の土地を買収されるのもまっぴら御免です。
3枚目。デスクの右側の光景。東海大地震が来たわけではありません。ファイルとかの整理がテキトーになると、震度5のような惨状になるんです。なるんですって!
よく、「秘書が必要ですね」と言われます。気の利く大学院生が「テーブルの上だけでも片付けましょうか?」と申し出てくれるのですが、慎んでお断りしています。なぜなら、散らかったあのようなテーブルの上ですら、どの辺りにどの書類が埋まっているのか、これでも一応把握しているつもり。勝手に動かされては、自分の認知地図が狂ってしまう。だから「あああっ! 勝手に動かさんとって!(しかも山が崩れるし!)」というわけなのです。一人で大袈裟に「地殻変動がぁぁぁ!!」と慌てているわけです。どの地層のあたりに何が埋もれているのか。いかにうまく発掘するか。山を崩してはいけません、そうっと、そうっと。こうした考古学者か地質学者のような会話を、奥田研究室では楽しむことができるわけです。ま、自分が一人楽しんでいるだけで、学生らは絶句している様子ではあります。
秘書に整理整頓をすべてお任せできるほど、こだわりの気持ちが解放されると良いのですが。まだまだそういう気持ちになれない自分です。
いやあ、すっきり。きちんと整理整頓が出来ていると勘違いされるのは、ちょっと窮屈だったものですから、messyなところをお見せした次第です(「記事にするんだったら片付けろ!」とお叱りの声も聞こえてきそうですが)。今年もまた喘息が出始めた自分にとって、埃っぽいのが玉に瑕。
おしまい。
最近のコメント