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2007.06.07

「ライブ手術」のインフォームド・コンセントは?

医師研修の目的で、実演手術が行われること自体、通常のことである。

ただ、今回のことはよく分からない。というか、意味のない報道なので何とも言い難い。

まずは、読売新聞。

愛知の病院、実演手術の患者2日後に死亡…昨年9月
http://www.yomiuri.co.jp/iryou/news/iryou_news/20070606ik02.htm

 愛知県豊橋市の循環器系疾患の専門病院「豊橋ハートセンター」で昨年9月、医師の研修を目的としたテレビ中継の実演手術をしている最中に、患者の容体が急変し、2日後に死亡していたことが5日わかった。
 日本心臓血管外科学会は調査委員会を設け、中継手術の運用指針案の作成を進めている。
 病院によると、昨年9月23日、愛知県内の男性患者(63)が、心臓に近い血管にこぶができる胸腹部大動脈瘤(りゅう)の手術を受けた様子が、神戸市内の会場に集まった医師らにテレビ中継された。しかし、手術の最中にこぶが破裂し、中継をやめて処置が行われたが、男性は2日後に死亡した。
 調査委員会では会場から執刀医に質問ができる形式だったことなどから、報告書で〈1〉見学の医師から質問が出たことで、執刀医の集中力を損なった可能性がある〈2〉ショー的な要素があったことが否定できない〈3〉運用指針作成の必要性——などを指摘。調査委員長の八木原俊克・国立循環器病センター副院長は、「技術や知識の普及は大切だが、ストレスのかかる難度の高い手術が中継に適しているかどうかを判断する基準などについて、慎重に考える必要がある」としている。
 これに対し豊橋ハートセンターの大川育秀・副院長は、「心臓血管外科の第一人者といわれる医師が執刀しており、実演手術との因果関係はないと信じている。手術の危険性については事前に患者に説明して納得してもらっていた。あくまで医師の研修を目的とした実演手術で、ショー的要素はない」と話している。
(2007年6月6日  読売新聞)

これじゃ、よく分からない。調査委員会は「質問応答しながらの実演手術の危険性」を示唆しているのに、病院側は「手術の危険性」について答えている。まったく噛み合っていない。自分が新聞記者なら、「そうじゃなくって、患者に実演手術に伴う危険性は説明していたのか?」と質問する。だから、この記事では何も分からない。

それに対し、朝日新聞の記事はもう少し詳しい。

「ライブ手術」で患者が死亡 愛知で昨年9月
http://www.asahi.com/national/update/0605/TKY200706050215.html
2007年06月05日15時23分

 医師の研修を目的としたライブ(実演)手術で昨年9月、患者の死亡する事故があったことがわかった。関連する日本心臓血管外科学会(高本真一理事長)は調査委員会(委員長=八木原俊克・国立循環器病センター副院長)を設け、残された映像などの調査を実施した。同学会は委員会の報告をもとに、ライブ手術の指針を作る予定だ。
 事故が起きたのは愛知県内の病院。心臓から出た太い血管にこぶのある胸腹部大動脈瘤(りゅう)患者について、他病院の心臓血管専門医がこぶの破裂を防ぐための手術を執刀する様子が、兵庫県内の別会場の医師らにライブ中継された。
 ところが、その最中にこぶが破裂。中継をやめて緊急処置が施されたが患者は2日後に亡くなった。ライブ手術を主催した研究会の世話人から学会に調査依頼があり、委員会が発足した。
 病院がカルテ提出などを断ったため、調査委は映像など限られた資料から判断した。その結果、中継を見ていた医師たちから手術法への異論が出て、執刀医は反論しながら手術していたことがわかった。また、全国平均で死亡率19%の手術なのに、執刀医とは別の医師が「5%」と患者に説明していた。
 調査委は、死亡率の高い疾患を選んだことなど企画・運営に「ショー的な要素」が否定できず、手術中にライブ会場から自由に質問・議論できる形式は、執刀医の集中力を損なった可能性が否定できないとした。また死亡率などの説明に関するインフォームド・コンセント(十分な説明と同意)には「問題がある」とし、患者の安全確保対策や、指針の必要性を提言している。
 病院側は朝日新聞に「難手術だからライブの意義がある。プロだから、見られていても実力は出せる。医療ミスではなく起こりうる合併症と考えており、ご遺族には納得していただいた。委員会の調査については、何百万円かの調査費を負担するよう求められたので断った」と答えた。

この記事で、死亡率の高さを実際よりも低く患者に説明したとある。こうした場合、病院側は「この手術を患者にどうしても受けてもらいたい理由があった」と指摘されても仕方なかろう。

しかし、この記事でさえ、インフォームド・コンセントの問題が「手術自体の死亡率」について指摘されているのみで、「(質疑応答しながらの)実演手術の危険性」についてはどうだったのか確認されていない。もちろん、まさか実演手術をすることを患者に言わなかったなどということはありえないだろう。

そういうことから、今回の報道を素朴に理解するとすれば、調査委員会の報告書通りの理解の仕方でよいのかもしれない。ただし、頭ごなしに「実演手術は危ないから駄目だ」というような方向に持って行かないほうがよい。医学というか、医術の進歩のためには必要なことであるからだ。

ただ、一つだけ言わせてもらえば、病院側あるいは医師に傲慢な気持ちがあったのではないか。病院側は、患者が亡くなった今でさえ「プロだから見られていても実力が出せる」などとコメントしている。それでは、そうコメントした方の子どもや孫が同じような難手術を必要としたとき、同じように「質疑応答を同時並行するライブ手術」に協力するのか、と聞きたくなる。

正直な医者ならば、外科医が肉親の盲腸すら切れない、歯科医が肉親の抜歯すら出来ないことを告白する。自分はこれをもっともなことだと共感できる。

普段、自分も親御さんの前で「絶対に治してあげるよ」と断言してあげるような場合も多々あるが、しかし今でもその当日前の晩からの緊張感と静粛なる気持ちに変化はない。つまり、自分の仕事をなめるようなことはしたことがない。

こうした姿勢は、シアトルマリナーズのイチロー選手も同じだと思う。バッターボックスに立つときに、集中力を最大化させているに決まっている。あれだけ結果を残している偉大なプロでも、1打席ごと1球ごとに全神経を研ぎ澄まして臨んでいるはずだ。だから、試合のない日に彼がどんな軽いことを言ったとしても、それと打席での姿勢はまったく異なるものと考えなければならない。

「プロだから見られていても実力が出せる」、「プロだからお話ししながらでも実力が出せる」、「プロだから」、「プロだから」という言葉からは、微塵もプロフェッショナリズムを感じない。

 

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Posted by 奥田健次 社会 |