左翼による学校ハイジャックに何も出来ない自由の国、ニッポン。
井上ひさしの『吉里吉里人』かね。地方自治にまかせてしまうと、教育も左翼政治家の恣にされるってこと。
ヒトラーの人体実験みたいなもんやね。イデオロギーだけで好き勝手やっててさ、なおかつ恐ろしいのは客観的評価を拒否してるってこと。結果にコミットするのが大人の責任なのに、身勝手な思想だけで「これが子どもにとって良い」と決めつけてさ。実験的な教育をやっちゃいかんわけではないが、「言い掛かり」と「きれいごと」並べて客観性を持たせないんやから無責任もいいところ。
自治体は何をやってるの? 政府は何やってるの? 今の文科省には何の権限も無いんやけどね(こちらを参照)。
EBM(Evidence Based Medicine)が常識となりつつある医療界。厚生労働省の医療部門はエビデンスを重視するようになった。じゃあ、文部科学省は?
元ネタのほうは、ブログ桜舟塾をご覧あれ。
その一部をここでも引用する。
犬山市長「教育に火を」 (ライブドア・ニュース 2006年2月15日)
http://news.livedoor.com/article/detail/1713790/?rd犬山市では、少人数教育や独自の教科書の作成、生涯教育などに力を入れている。石田市長は「子どもはなぜ塾に行くか。塾のほうが教え方がうまいからだ」と指摘。「公教育は塾よりも授業が面白くなければならない。あいさつや行儀については、学校で教えることではないと言い切ること(が大事だ)」と述べ、子どものしつけは地域や家庭ですべきで、学校は授業に集中するべきという考えを示した。「なるべく教師たちの仕事を整理してやり、授業の質を問えばいい」と語った石田市長は、教師に対し「卓越した教師は、子どもの心に火をつける」と言って励ましているという。
少人数教育について、石田市長が理解するきっかけになったのは、選挙だったという。「選挙はミニ集会(が効果的)だ。20人か30人くらいで、目の真剣さがわかる距離でないと。1000人ぐらい集めて一方通行で演説をぶっても、駄目だ。票が固まらない」と実感を述べ、「少人数教育にすることで、教師と生徒の間に信頼の深まりができる」と語った。少人数教育のコストについては市が全面的にバックアップしているが、行政改革で無駄な分野をカットすることにより、新たなお金はあまりかからないという。
「卓越した教師は、子どもの心に火をつける」ですか。ブ、文学的!
それにしても元市長はん、えらい支離滅裂ですなあ。そういう考えがあるんなら、なぜ全国学力テストを拒否するのかね。「教え方が下手で成績も上がらない塾」があるとしたら、塾講師の授業が面白くても誰が金を払ってまで行かせますかね。そんな塾は淘汰されるでしょうが。公立学校は淘汰されないでしょ。なんで塾に行くかって言ったら、結局は現実的には競争があるからでしょうに。じゃあ、塾でやってる全国模試とかは何なのよ。
「〜するべきだ」「〜なければならない」と言うんだったら、その考え方ややり方が正しいかどうか、客観的な指標による評価が必要なんだって。子どものために、ね。
自分がいつも言っている、日本の教育の『居酒屋のオッサン談義』レベルなわけよ。居酒屋のオッサンたちが集まれば、誰でも教育改革できるってこと。左翼による教育改革がこれですわ。んで、安倍政権の教育改革も、あれれ? 本当に居酒屋のオッサンが委員におりますがな(笑)。つまり、エビデンスなき教育ってのは誰がやっても、そりゃ当然、子どもらは犠牲になりますがな。
じゃあさ、可愛い我が子が外科手術を必要としていると考えてみましょう。院長が「卓越した医師は、患者の心に火をつける」とか訳のワカランことを言う病院で手術を受けますかね? その病院は第三者評価機関との関わりを拒否していて、医師会にも加盟せずに病院独自のテキストみたいなもんを片手に手術しているって考えてみてよ。んなもん、くわばら、くわばら、桑原和子ですわ。
ったく、最近イヌには困ったものよ。地獄狗(サーベラス)しかり、狗山市しかり。
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など多数。


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