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2006.09.25

やっぱり学校を作りたい!

バンコクに来ていると日本語放送はNHKしかない。再放送ばかりだが、たまたま付けていると感動的なものに出会うこともある。最近の世論に反して(笑)、NHKにも素晴らしい番組もあるよと言っておきたい。長野県須坂高等学校の『りんどう祭(竜胆祭)』。

にんげんドキュメント
天突く龍を作れ 〜長野 須坂高校文化祭〜

これなんだよね。自分が普段から「いじめの解決は『大河ドラマ』を作成するような作業だ」と言っていること(『いじめのある現場で解決する策がある』)。そして、学校に提案していることだ。

同校で40年も続いている『りんどう祭』という伝統的な文化祭。巨大な龍を制作するのだ。生徒達は半年間かけてその日のために巨大な龍を作っていく。大学受験を控えた3年生までもが、早朝から放課後までに空き時間を作って張り子の龍の制作作業に打ち込んでいるのだ。

当然だが簡単に出来るものではない。完成日までの時間がない。自分の担当パーツが1つでも欠けると龍は完成しない。だからこそ、焦りや苛立ちが強くなるし、仲間同士のぶつかり合いもある。部活や勉強との両立に葛藤する生徒。高校生の前に立ちはだかる巨大な龍は、あまりにも思春期の若者にとって厳しい試練だといえるだろう。

作業から半年。ここからは『儀式』である。ハイテクや合理性の世の中では味わうことのできないシーンを、高校生達は真剣に真面目に描き出していく。

『建立(こんりゅう)』という儀式では、生徒達が手分けして作った龍のパーツを一つずつ起こしていき、組み立てていかなければならない。龍をしっかり支えるために、骨組みは材木で出来ている。張り子の紙や塗料の重さも半端ではない。リーダーの「建立!」という掛け声に合わせて、男子生徒らが壊さないように慎重にロープを引っ張ってパーツを起こしていく。見るからに、かなり重そうである。

女子生徒達は『竜胆祭賛歌』を歌い踊りながら、男子生徒らの作業を鼓舞するのだ。眠れる巨大な龍は、こうして若者の掛け声と歌と祈りの中、命を吹き込まれていく。グラウンドに高くそびえる龍。半年かけて皆で手分けして作った龍が一つになった瞬間だ。それまで対立していたような生徒同士も、ごく自然に互いに抱擁して喜びを分かち合う。皆、熱い涙を流している。

感動した生徒達は、完成した龍の体にメッセージを書き込む。半年前までは、ただの『学校行事』に過ぎなかったのだろう。しかし、気が付くと皆で作り上げた龍に対する『愛着』が強く芽生えているのだ。

だが、儀式はこれで終わりではない。文化祭の終わりに、この龍を解体しなければならないのだ。リーダーが声を詰まらせながら感謝の気持ちを皆に伝え、最後の掛け声と共に生徒らは一斉にロープを引っ張る。今度はゆっくりではない。一気に倒してしまうのだ。あれだけ建立するまで苦労した龍は、もろくも倒され命尽きてしまうのだ。

最近の若者のことだから、一斉に倒したら倒したで喝采するのだろうか。否。皆、すぐに倒れた龍のもとに駆け寄り、泣いているのだ。もう言葉すら無く、ただ泣くばかり。時間までに解体しなければならない。号泣しながら、龍のうろこを剥がしている。中には、解体作業もできないほどに泣き崩れている女子もいる。やさしく慰め励ましながら、解体作業に参加させる友もいる。無情に見えるが、骨組みをチェーンソーで小さく切っていく男の姿もある。

巨大な龍の亡骸は、一所に集められた。何も知らない自分は、トラックで運ばれて行くのだろうかと思ってしまった。だが、そんな考えは儀式には合わないものだということがすぐに分かった。弓道部の生徒数名が登場したのだ。長い矢の先には炎。火矢である。掛け声と共に一斉に火矢が放たれ、龍の亡骸に到達する。火柱は高く燃え盛り、『りんどう祭』の本当のクライマックスを迎えることになる。

自分は不覚にも何度か泣いてしまった。こういうドラマを作ることができるなら、いじめなんか無くなるだろう。逆に言えば、これほどのドラマを作らなければ、いじめは無くならない。

それにしても、長野県の教育はすごいなあと学生の頃から思っていた。学生の時に見たドキュメントのこと。それもNHKだったと思うが。確か、小学生が1年かけてヤギを飼育する。ところが、最後の最後で『お別れの時』がやってくる。ただ、お別れするのではない。食肉処理場(と畜場)に連れて行かれると教師から説明される。当然、小学生達は「かわいそうだ」と言って泣いてしまう。普段、何気なく食事している(そして食べ残ししている)けれども、こうした経験によって『食物とは何か』ということを肌で感じることになるだろう。実験授業のドキュメントだった。これも確か長野県での取り組みだったと思う。この取り組みの話なんかも、自分はある教育委員会で提案したこともある。すごく嫌な顔をされたが。

その後、この取り組みはどうなったのだろうか。

『りんどう祭』にしても、保護者の中には「うちの息子にはそんな時間よりも大学受験のための勉強の時間が大切です」と言う人がいるのではなかろうか。それでも、40年も伝統を守ってきた学校はすばらしい。塾や大学では決して学べないことがあるのだ。『青春』という一言では語りきれないものがある。

自分はそういう学校を作りたいなあ。うらやましいなあ。いつも言っていることだが、そういう学校を経営させてもらえるならば、いつでも大学教員なんて辞めちまいます(本気です)。

 

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      など。

Posted by 奥田健次 いじめ・ハラスメント, 学ぶこと, 教育 |