行動分析学会の2日目。
今日は発表してきました。ま、学会発表くらいは会員ならば誰でも出来るので、大したことではありません。「こんなんやりましたけど、どないでっか?」的なね、やっぱり独りよがりの仕事はしたくないからさ。
寂しいことは、もう誰からも教えてもらえないということ。こっちが効率的に自分の仕事を伝えるのに専念するだけ。んでも、ただ伝えるだけで終わるのではなくって、相手の反応を見ながら伝えると、結構、自分の考えが明確になるんよね。「ああ、俺ってこういう仕事をやってたんだ」という発見だったり再確認だったり。そういう『学び』をしているようなもんですよ。「教えてもらおうなんて甘えるな!」ってなもんやろうね。
これって、やっぱ大事なこっちゃなと思う。
今日のシンポジウムは、こちら。
学校支援において連携や協働を進めるために、『行動コンサルテーション』はいかに役に立つか−わが国への適用の現状と課題−
話題提供は、野呂文行先生(筑波大)、加藤哲文先生(上越教育大)、米山直樹先生(関西学院大)であった。お馴染みの顔触れであるが、それぞれ明快な切り口で『行動コンサルテーション』の実際の営みを示して下さった。
指定討論は、神村栄一先生(新潟大)、松見淳子先生(関西学院大)であった。神村先生は、教育相談のフィールドで行動分析学研究者がどんな戦略(政治)をもって進めていくか指摘された。また、松見先生の討論で印象に残ったのは、話題提供者らが紹介したアメリカのモデル(Berganモデル)は「学校内に常勤の専門家がいることを前提にしたものであって、日本のスクールカウンセラーや巡回相談員はほとんどの場合、常勤ではない」という指摘であった。確かに、週1日勤務の心理士と毎日勤務の心理士とでは全然違う。これは単に量的な問題だけではないだろう。毎日勤務の心理士だと『同じ船の乗組員』という目で見られるからだ。
質疑応答では、多少、場を盛り上げるために質問してみた。
今回の話題提供では、すべて大学教員という肩書きでコンサルタントとしてコンサルティ(学校教員など)にコンサルテーションを行う話ばかりだと。でも、教育相談に従事している圧倒的多数は、(大学教員でない)スクールカウンセラーなり、教育委員会の主事とかなのだから、社会的要請としてはその圧倒的多数の専門家が『行動コンサルテーション』を出来るようにすることではないか。つまり、行動コンサルタント養成に着手することが大学教員の目指すべき仕事でないかと。
それこそ、有識者の立場を社会のために利用して、市町村や県の教育委員会に働きかけることからスタートせなあかんのちゃうかと。ちなみに、特別支援教育のほうではそれが出来ているよ。こんな自分のような有識者でない人間でも、ある教育委員会に「特別支援教育コーディネーター養成講座」をやるべきでしょうと企画を持ちかけたら、一発で採用された実績がある。ま、名称は「養成講座」から「研修講座」に変更させられたけどね。
神村先生の戦略の話や、松見先生がされている学校や教育委員会での仕事などが、自分の質問したことに関連しているのかもしれない。
いろいろ質問した自分が、じゃあそういう仕事が出来るかというと出来ないし、自分の趣味じゃない。ただし、自分はスクールカウンセラーはやってない。面白くないからね。やっぱり、特別支援教育のほうが教育委員会の対応が良いように思う。ギャラはビックリするくらい安いけれども、確かにやりがいがあるね。
「大学教員がいつまでもスクールカウンセラーをやってんじゃねえよ!」と(までは発言していない)。ちょっとはそう思ってるかもしれんけどね(笑)。いや、もちろん今回の話題提供の先生方のような行動分析家が、スクールカウンセリングの現場でデータを取り続けている限りにおいては、それはもうジャンジャンやるべきだと思っています。データをある程度集めたら、それをどのように社会のために利用するか。こういう戦略はしっかり持っとかないといかんでしょうと思いました。
データも取らずにスクールカウンセラーやってる大学教員は、行動分析家でもNGだわさ。ってか、行動分析家としては当然失格やろうね。
ちょっと過激すぎましたかね(苦笑)。
いや、懇親会で小野浩一先生(駒澤大)から「奥田君、だめだよ『自分も出来てないんですけどね』なんて言っちゃあ(笑)」って言われちゃいました。
あくまでも過激なのを期待されるんですよね、小野センセ。。そりゃ、あきまへんですわぁ(苦笑)。
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