非宗教法人化しても無宗教にはならない
麻生外務大臣の小論が発表され、いわゆる保守系にやや激震が走ったかのような様相を呈している。自分はどうもそれらと根本的に違うのかもしれない。靖国神社が非宗教法人になったとしても、靖国から宗教がなくなるわけではないと考えているのだ。
もともと陸海軍省管轄(国立)だった靖国神社(その前身は東京招魂社)は、戦後に陸海軍が解体されるとともに、国で管轄するよりも一宗教法人にしたほうが良いと『当時は』判断されたわけで、その結果、現在の宗教法人という形式をとることになった。戦後日本で、まさか(完全な)政教分離のカルトっぽい論議で、国内からこれほどまでに叩かれるなどと『当時は』想像も及ばなかったことだろう。
「宗教法人であるがゆえに政教分離の問題が生じる」というのが本当ならば、麻生氏のような提案も一理あると考えられる。靖国神社が、宗教法人でない別の特殊法人に変わること自体、自分は大きな失望感も感じないのだ。
靖国神社が、宗教法人以外の法人になっても(つまり国営に戻っても)、きっと遺族をはじめ多くの日本人は、靖国の社に行けばこれまでと同様に心静まって頭を垂れる気持ちになるだろう。靖国に参拝する国民が、神道のこと(作法)など分かっていなくても、そこで命を懸けて日本を守ろうとした先祖に思いを馳せることが大切なのではないか。思わず手を合わせてみても良いだろうし、麻生大臣のようにクリスチャンとして神に祈りを捧げることだってありえるだろう。
『宗教法人であるかないか』ということは形式上のことであって、自分はそこに拘る気持ちはない。日本人には、日本人らしい『信心』というものがあるのではないか。それこそ、「木々や路傍の石ひとつにさえカミが宿る」という考えが日本人らしさであって、それがゆるやかに神道となっていったという考え方がある。
どういうことかって言うと、こういうことだ。「あなた、宗教は神道ですか?」と聞かれて、「いいえ、特に宗教はありません」と答えた日本人がいるとする。こう答えた日本人ですら、ある岩のような碑の前で「ここで、この方が亡くなられました」と言われると、思わずその岩の中にその人がいるような気持ちになるだろう。クリスチャンでも、その岩の碑の中には何もいないと知識で分かっていても、日本人ならば、その場では思わず亡くなった方の存在を感じてしまうかもしれない。何も感じないのは、唯物論者だけではないだろうか。
そういう意味から、靖国神社が非宗教法人になることは構わない。非宗教法人になったとしても、日本人の信仰や信心だけは変わらないからだ。ただ、非宗教法人化することを『無宗教になった』という言い方はして欲しくない。いわゆる『神道祭祀』に拘る、本物の国家神道の信者においては、もちろん大きな懸念もあるだろう。だが、日本人の大半は、本物の神道信者というわけではなく、ゆるやかな神道的信心を持っているのが実際のところだろう。
非宗教法人になったら、(完全)政教分離しなきゃならんといって、別の施設に引っ越しさせるとか、鳥居を撤去するとか、そういう発想を持つ必要はない。そもそも『ゆるやか』なのが日本人なのだから、相田みつをじゃないけど「そのままでええがな」。宗教法人格を捨てたとて、信心は無くならんよ。信心も広い意味で宗教と考えるならば、宗教法人格でない宗教(信仰心)だってあるだろう。それも日本らしい。
ただね、自分は絶対に許さないし、許しちゃいけないことがある。
それは、いわゆるA級戦犯の分祀。これはね、魔女狩りだよ。A級戦犯の汚名を着せられた上、天皇陛下と国のために犠牲になった先人に対して、戦後60年経過した現代日本人が欠席裁判をやっちゃいけない。何度も言うように、東京裁判で戦犯とされた人はA級だろうとBC級だろうとすべて国民の圧倒的支持を得て無罪となり、名誉回復することとなった(関連する決議すべて、国会で全会一致で決議された)。
それを、今日の国際情勢でもってご都合主義的に、今度は連合国ではなくて日本人が魔女狩りをやることなど、絶対にあってはいけない。我々を命懸けで守ってくれた先祖を、今度は我々が守らなけりゃならんのだ。もちろん、命懸けで。それができないならば、戦後日本人の民度がそこまで地に落ちたということ。平気で魔女狩りするのが日本人だということ。
もし、麻生大臣がいわゆるA級戦犯をどうするか、などと分祀の議論を進めるならば、自分は決してそんな人物を支援しないだろう。
非宗教法人化。結構なことだ。だが、A級戦犯に対する二度目の魔女狩り裁判だけは絶対に許さない。
しかしね、ずっと懸念していたことだが、アメリカにおいては「ヤスクニごときで51番目の州(日本)が中国マーケットと喧嘩し続けるのは(アメリカの国益上)困る」という立 場が台頭してきている点。対米交渉路線の麻生氏の力が弱まり、対米追従路線の安倍氏の力が増してきていることが反映されているということだろうか。
そんな安倍氏の靖国参拝など、疑わしくって仕方がない。まあ、村山談話に基づく小泉首相の靖国参拝なんてものこそ不純な動機といえるわけで。最後の最後に、わざと8月15日に参拝する可能性があるね。ポスト小泉のために、わざと逆風を巻き起こしてあげるんだろう。ということは、もうすでに靖国解体計画が進行していると見ることもできるんだよな。実際、『ツギハギメモ』といい『東条文書の写し』といい、今年の『夏の風物詩』はもうなりふり構わずって感じでしょ。まあ、この辺でやめておく。
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