« 「日本は、日本らしく」。オシム氏の言葉に思う。 | トップページ | 【復刻】東條英機宣誓供述書 »

2006.07.30

手作業で作られる清涼飲料水の話

古き良き物が、どんどん消えていく。清涼飲料水ですら、悲しい思いがするのだ。

終戦後、アメリカからやってきた『バヤリースオレンヂ』はアサヒ飲料が買い取った。懐かしの『プラッシー』は武田。お米屋さんで売っていた。思えば、銭湯の冷蔵庫には、ちょっと不気味な、しかし不思議な魅力が漂っていた。

さて、この『ネーポン』は? 本当にこのまま消えてしまっていいのか?

これ以上、何も言わないので記事だけ読んでいただきたい。

中島らもを魅了した幻の「ネーポン」が存在しているらしい
http://www.sankei.co.jp/news/060729/bun074.htm

≪「とてもおいしかったと言っていいかもしれない」 中島らも「西方冗土」より≫
 「あの幻の『ネーポン』がまだ存在しているらしい」
 知り合いからこの話を聞いたのは、つい先日のことだった。ネーポンといえば、ネーブルとポンカンをかけたもので、オレンジ味のする瓶入りの清涼飲料水。テレビのバラエティー番組で取り上げられて一躍有名になり、故中島らももエッセー集「西方冗土」の中で、ネーポンとの出合いについて述べている。
 西方冗土の中でネーポンが飲める店として登場するのが喫茶店「アジアコーヒ日の出通り店」。「廃業した自転車修理屋」といった趣の店で、入り口に「ネーポンあります」の張り紙がしてあるという。
 『「ネーポン」を飲んだら、そのまま外界に帰れなくなるような、そんな気がしたのである』
 かの中島もあまりの怪しさに最初は飲むことを躊躇(ちゅうちょ)している。記者も結局、飲む機会には恵まれないままアジアコーヒは閉店。それとともにネーポンもなくなったものとばかり思っていた。
 その幻がまだ存在していたとは。どこで手に入れたのか、知り合いが持ってきてくれた空き瓶には、製造元として「ツルヤ食料品研究所」と記されている。住所は神戸市兵庫区。いてもたってもいられなくなり、さっそく訪ねてみた。
 お洒落(しゃれ)な街、神戸とはまた違った古い建物が並ぶ路地にツルヤはあった。しかし、入り口は固く閉ざされている。「やはりもう製造していないのか」。あきらめかけたその時、「右側奥へお回りください」との張り紙を見つけた。
 奥へ回ってみると、古びた機械が数台置かれた20畳ほどの部屋が見えた。工場というよりまさに「研究所」だ。「ごめんください」。声を出しても返事はない。思い切って中に入ってみると、年配の女性が一人でネーポンを作っていた。
 「ネーポンだ!」。興奮のあまり思わず声が出てしまった。この女性にツルヤを訪ねた理由を話すと、ネーポンを一本開けてくれた。
 『ネーポンは細長い瓶に入ったジュースだった。コップに注ぐと、瓶の底にたまっているおりのようなものが揺れ動いた』
 確かに揺れ動くなぞの物体が見える。中島の出合いを追体験。瓶には黄色4号の文字が。少しためらっていると、「果肉が沈殿してるだけやで」と、女性がひと言。こちらの気持ちを察したかのようだ。確かに瓶には「果汁10%」とある。テレビでは粉末を溶かした飲料ではないかと茶化(ちやか)され、ずいぶんとつらい思いをしたという。
 『よく冷えていて悪くはなかった。とてもおいしかったと言っていいかもしれない』
 中島が述べているとおりで、甘いのだが、決して嫌味はなく、本当においしかった。かつて駄菓子屋や銭湯で飲んだ懐かしい味だ。
 女性は上田安子さん(68)で、ネーポンを一人で作り続けているという。
 ツルヤがネーポンを作り始めたのは昭和38年ごろ。もともとは製菓店だったが、「安かろう悪かろう」がまかり通っていた清涼飲料水に風穴を開けようとネーポンを作り始めたらしい。瓶のデザインは多少変化したが、味は40年以上、まったく変わっていないという。ミカンの果汁を使って一本、一本ていねいに手作業で作られている
 ちなみにネーポンは、神戸・元町と大阪・都島の喫茶店に出荷しているらしい。今度はその喫茶店を探さないとと思っていると、上田さんから衝撃的なひと言が発せられた。
 「実はネーポンの製造、年内で終わるねん」
 え? やっと見つけたのに…。どうやら、「研究所」がマンションに建て替わるため、この機会に製造をやめるらしい。
 「後を継ぐ人もおらへんし、はっきりいってもうからん商売やから…。残念な気持ちもあるけどね」。年内は注文がある限りは製造を続けるという。
 昭和の原風景が残っている幻の「研究所」。というより、幻を探し求めてツルヤを訪ねたこと自体が、幻のような気がする。
(藤原直樹)
         ◇
≪おしながき≫
 西方冗土 関西人の行動や関西弁を縦横無尽、奇想天外に考察し、関西人にエールを送りつつ、ヨタを飛ばすエッセー集。
 ネーポンとの出合いはアジアコーヒで張り紙を見つけるところから始まる。一度は立ち去るのだが、その不思議な魅力には抗しがたく、再びアジアコーヒを訪ねていく…。その後のネーポンブームの火付け役となった。
【2006/07/29 大阪夕刊から】
(07/29 17:03)

 

にほんブログ村 政治ブログへ ←ポチっと一押しに感謝。

Posted by 奥田健次 社会 |