ゆとり第一世代を評価するって? マジで?
「ゆとり教育」を是認する単純な人たちがいる。戦後日本の弱体ぶりが、ここに思いっきり現れている。
議論OK、学生変わった? 「ゆとり第一世代」入学
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(共同通信)授業時間や学習内容が少ない新学習指導要領の下で学んだ“ゆとり教育第一世代”が今春、初めて大学1年生になった。人前での議論が平気で、プレゼンテーションが得意な学生が増加。大学教員からは「今までの学生とは違う」「ゆとりの効果では」という声も上がっている。
「話し合うのを嫌がらない学生が多く、今年は授業がしやすい」。東京海洋大で1年生に日本語表現法を教える大島弥生助教授は変化に気付いた。書きたいテーマを決めて学生同士の議論を重ね、リポートに仕上げる授業で、学生の積極的な発言が飛び出す。
そうかなあ。
人前での議論が平気になったって? それが良いことだとは単純すぎる見方じゃないかね。
言いたいことを言う。そりゃあ今までの日本人らしくないスタイルではある。しかし、何でも思ったことを言うってのが正しいなんて、誰が決めたの?
確かに、何かあると遠慮無く主張する大学生は増えたように思うよ。しかし、どうもそういう学生に限って「目の前の事象にのみ」反応しがち。表面上、いろいろ話してくれるので、黙っている奴らよりも一見議論できるようではある。だが、議論に深みが無いのだ。彼(彼女)らは、知っている言葉、知っている情報に反応しているだけのように思う。何より「文脈」を読み取るのが苦手だ。だから話が表層的。
そして主張が損得勘定に基づいていて、わがまま放題な輩がやたら多い。まあ、自分にとってはそれも教育。親がやり残した子育てだ。大変だが、やりがいもあると。
これは、新1年生に限った話ではない。「ゆとり教育」自体はもう少し前の世代から始まったものだ。文脈を読み取るのが苦手というのは、学生に限らず大人世代も同じ。政治家も官僚も、ほとんどが表面上の事柄に反応しているだけであって、歴史や文脈を勘案したり、近い将来に起こりうる事象の可能性を予測するのが苦手なようだ。ディベートとかって流行ったのも数年前だろう。だが、ほとんど詭弁を弄しているばかりにみえるし、聞けば聞くほど軽さと薄っぺらさばかり感じてしまう。テレビに出てる若手政治家の言ってることも本当に薄っぺらい。
議論する高度なスキルが求められるのは、一般人ではなくて選ばれた立場の人たちのみで構わない。本来の日本人ならば「皆まで言うな」「言わずもがな」で十分だったはず。「ゆとり教育」のお陰で、中身がスカスカなのに、表層的な議論ばかりの詭弁家を増やしてどうするんだ。
とにかく「議論ができるようになった」などと、うわべだけの学生の変化を安易に評価するのは、いかがなものかと思う。それこそ、目の前の事象に反応しているだけではないだろうか。
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