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2006.07.31

【復刻】東條英機宣誓供述書

週末、新幹線移動の際に書店で見つけた新刊。新刊といっても、本当は昭和23年に発行されたものである。本書は、占領軍GHQの発禁本第1号とされていたためだ。

東條英機の孫娘、東條由布子さんによって編集され、ようやく広く日の目を見ることとなった。

さっそく『編者まえがき』を読んだ。GHQによる徹底した情報統制を乗り越え、運命的な巡り合わせで、発禁となった初版本を由布子さんが手にすることができたという。

『編者まえがき』より引用する。

 この本を読み進むにつれ、私はつくづく祖父の「勇気」に感じ入りました。あれだけの四面楚歌の状況の中で、しかも国際裁判の法廷という場で、日本国の立場を正々堂々と主張していたということが、改めて分かったからです。
「断じて日本は侵略戦争をしたのではありません、自衛戦争をしたのであります」
 私はこれぞ本物の軍人魂、これぞ日本人だと感じました。死を覚悟していたからこそ、これだけのことが言えたのでしょう。

同じく『編者まえがき』より。

 戦後、日本は連合軍の政策にすっかり洗脳されてしまいました。日本が行った戦争を「侵略戦争」であったと刷り込まれた上に、GHQの検閲により「自衛戦争」という主張は掻き消されていました。日本人は目も耳も塞がれていたのです。占領中はまだしもサンフランシスコ講和条約が発効した昭和二十七年以降も、日本の政府や政治家たちは、連合軍によって押しつけられた「歴史認識」を修正しようとはせず、国民の再啓蒙をまったくといっていいほど行いませんでした。多くの国民が、心の底で誇りを求めていたのにもかかわらず−。

今、東條英機宣誓供述書(全文)を読み進めているが、「メモ魔」と呼ばれた東條の詳細な記録に驚くばかりである。

そして何よりも、これは当時の日本のおかれていた状況がつぶさに分かる一級の記録であり、だからこそGHQは供述書の内容について論理的に反論することを避け(反論できるわけもなく)、発禁本としたのだ

発禁第1号とされた本書なのだから、読者は虚心坦懐に読まなければならない。戦後、植え付けられてきた知識やイメージを一時的に脇に置いて、本書を手にするべきだろう。

自分の死を覚悟していた東條は、決して東京裁判で、自分自身を護ろうとしたのではない。天皇と、日本を護ることに命を懸けたのだ。

こんな東條を、日本人が戦後60年間ずっと『極悪人』と決めつけたままでよいわけがない。反戦平和の左翼が、東條他いわゆる『A級戦犯』を犯罪者と言い続けるならば、そんな人間の望む平和など『偽善者の戯言』に過ぎない。片方で「平和、平和」と言いながら、片方で自己弁護をしなかった男に石を投げ続けているだけだ。自分の幼稚さに気付けないほど幼稚な姿である。

GHQの民間情報教育局によるWGIP(戦争についての罪悪感を日本人に刷り込む計画)による洗脳から、まず目を覚ますこと。アメリカはじめ戦勝国のリンチ裁判を全面否定すること。まずは、ここから始めようではないか。自分も、大学生の頃までは何も知らず、命懸けで日本を護ってくれた方々に対して悪い人達だとレッテルを貼ってしまっていた。本当に申し訳ない気持ちである。ごめんなさい。

本書は書店で発売中。小林よしのり氏推薦の帯が目立つので、すぐに見つかるだろう。

【追記】本書の初版は1年前になっていて、今回書店で見つけたのは第7刷だった。『いわゆるA級戦犯』が売れたので、再注目されたということなのだろう。

 

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サンフランシスコ講和会議

Posted by 奥田健次 学ぶこと |

2006.07.30

手作業で作られる清涼飲料水の話

古き良き物が、どんどん消えていく。清涼飲料水ですら、悲しい思いがするのだ。

終戦後、アメリカからやってきた『バヤリースオレンヂ』はアサヒ飲料が買い取った。懐かしの『プラッシー』は武田。お米屋さんで売っていた。思えば、銭湯の冷蔵庫には、ちょっと不気味な、しかし不思議な魅力が漂っていた。

さて、この『ネーポン』は? 本当にこのまま消えてしまっていいのか?

これ以上、何も言わないので記事だけ読んでいただきたい。

中島らもを魅了した幻の「ネーポン」が存在しているらしい
http://www.sankei.co.jp/news/060729/bun074.htm

≪「とてもおいしかったと言っていいかもしれない」 中島らも「西方冗土」より≫
 「あの幻の『ネーポン』がまだ存在しているらしい」
 知り合いからこの話を聞いたのは、つい先日のことだった。ネーポンといえば、ネーブルとポンカンをかけたもので、オレンジ味のする瓶入りの清涼飲料水。テレビのバラエティー番組で取り上げられて一躍有名になり、故中島らももエッセー集「西方冗土」の中で、ネーポンとの出合いについて述べている。
 西方冗土の中でネーポンが飲める店として登場するのが喫茶店「アジアコーヒ日の出通り店」。「廃業した自転車修理屋」といった趣の店で、入り口に「ネーポンあります」の張り紙がしてあるという。
 『「ネーポン」を飲んだら、そのまま外界に帰れなくなるような、そんな気がしたのである』
 かの中島もあまりの怪しさに最初は飲むことを躊躇(ちゅうちょ)している。記者も結局、飲む機会には恵まれないままアジアコーヒは閉店。それとともにネーポンもなくなったものとばかり思っていた。
 その幻がまだ存在していたとは。どこで手に入れたのか、知り合いが持ってきてくれた空き瓶には、製造元として「ツルヤ食料品研究所」と記されている。住所は神戸市兵庫区。いてもたってもいられなくなり、さっそく訪ねてみた。
 お洒落(しゃれ)な街、神戸とはまた違った古い建物が並ぶ路地にツルヤはあった。しかし、入り口は固く閉ざされている。「やはりもう製造していないのか」。あきらめかけたその時、「右側奥へお回りください」との張り紙を見つけた。
 奥へ回ってみると、古びた機械が数台置かれた20畳ほどの部屋が見えた。工場というよりまさに「研究所」だ。「ごめんください」。声を出しても返事はない。思い切って中に入ってみると、年配の女性が一人でネーポンを作っていた。
 「ネーポンだ!」。興奮のあまり思わず声が出てしまった。この女性にツルヤを訪ねた理由を話すと、ネーポンを一本開けてくれた。
 『ネーポンは細長い瓶に入ったジュースだった。コップに注ぐと、瓶の底にたまっているおりのようなものが揺れ動いた』
 確かに揺れ動くなぞの物体が見える。中島の出合いを追体験。瓶には黄色4号の文字が。少しためらっていると、「果肉が沈殿してるだけやで」と、女性がひと言。こちらの気持ちを察したかのようだ。確かに瓶には「果汁10%」とある。テレビでは粉末を溶かした飲料ではないかと茶化(ちやか)され、ずいぶんとつらい思いをしたという。
 『よく冷えていて悪くはなかった。とてもおいしかったと言っていいかもしれない』
 中島が述べているとおりで、甘いのだが、決して嫌味はなく、本当においしかった。かつて駄菓子屋や銭湯で飲んだ懐かしい味だ。
 女性は上田安子さん(68)で、ネーポンを一人で作り続けているという。
 ツルヤがネーポンを作り始めたのは昭和38年ごろ。もともとは製菓店だったが、「安かろう悪かろう」がまかり通っていた清涼飲料水に風穴を開けようとネーポンを作り始めたらしい。瓶のデザインは多少変化したが、味は40年以上、まったく変わっていないという。ミカンの果汁を使って一本、一本ていねいに手作業で作られている
 ちなみにネーポンは、神戸・元町と大阪・都島の喫茶店に出荷しているらしい。今度はその喫茶店を探さないとと思っていると、上田さんから衝撃的なひと言が発せられた。
 「実はネーポンの製造、年内で終わるねん」
 え? やっと見つけたのに…。どうやら、「研究所」がマンションに建て替わるため、この機会に製造をやめるらしい。
 「後を継ぐ人もおらへんし、はっきりいってもうからん商売やから…。残念な気持ちもあるけどね」。年内は注文がある限りは製造を続けるという。
 昭和の原風景が残っている幻の「研究所」。というより、幻を探し求めてツルヤを訪ねたこと自体が、幻のような気がする。
(藤原直樹)
         ◇
≪おしながき≫
 西方冗土 関西人の行動や関西弁を縦横無尽、奇想天外に考察し、関西人にエールを送りつつ、ヨタを飛ばすエッセー集。
 ネーポンとの出合いはアジアコーヒで張り紙を見つけるところから始まる。一度は立ち去るのだが、その不思議な魅力には抗しがたく、再びアジアコーヒを訪ねていく…。その後のネーポンブームの火付け役となった。
【2006/07/29 大阪夕刊から】
(07/29 17:03)

 

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Posted by 奥田健次 社会 |

2006.07.23

「日本は、日本らしく」。オシム氏の言葉に思う。

いいね、サッカー日本代表新監督のオシム氏。日本代表に求められることは何かと記者に問われ、「日本代表を、日本化させることだ」と答えたそうだ。

オシム新体制キーワードは「日本化」
http://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2006/07/22/01.html
(スポニチ) 

キーワードは「日本化」だ。日本代表のイビチャ・オシム新監督(65)とU—21日本代表の反町康治新監督(42)が21日、都内のホテルで、川淵三郎キャプテン(69)とともに、調印式と就任会見を行った。世界のマネをするよりも日本らしいサッカーを追求するスタイルで10年W杯南アフリカ大会を目指す決意を表明。契約は1年ごとに更新するが基本は4年間で、年俸は推定1億2000万円。
(略)
 そして、注目の新生代表の方針は、日本の良さを前面に出すことだった。「誰かをマネしない方がいい。現在の代表を日本化させることが必要。初心に帰ることで、日本が本来持っている力やクオリティーを出せると思う」。あえて「日本化」という表現を使った。これまで、どの外国人監督も日本人の特性を理解しながら、自分の理想に合わせる傾向にあった。だが、オシム監督は日本人のよさを(1)敏しょう性(2)いい意味でのアグレッシブさ(3)個人の技術(4)スピードと解説。「それをまだチームのために生かす方向にいっていない。今までの日本はスピードのあるチームではなかった。もっとスピードに乗ったプレーができると思う」。ピッチでこの良さを出せた時、世界と戦える。指揮官の頭には、すでにそのイメージがある。
(以下、略)
[ 2006年07月22日付 紙面記事 ]

惨敗に終わったドイツW杯。オシム氏にとっては、ジーコJAPANの敗退は『順当な』敗退だったのだろう。

日本の良さは規律を守って動くこと、統率の高さにある。大東亜戦争下の日本軍も、圧倒的な体力の差があったにもかかわらず緒戦を連勝したのは、当時の技術力の高さと軍の統率の高さであった。

『選手の自由に任せる』というスタイルは、日本人がやるチームスポーツには合わないだろう。

日本のお家芸といえば、先の第1回WBCで世界一になった野球である。日本野球の歴史は、サッカーよりも長い。なにせ戦前から盛んだったのだ。この頃の日本人は、軍隊がそうであったように、チームスポーツでは監督の命令が絶対だったし、それに従わない場合は厳しく罰せられ、試合で使ってもらえない。

一方、サッカーが普及し始めた頃の戦後日本は、国民全体が個人主義に傾いており、サッカー人気が野球人気を超えた頃には、ほぼ完全に個人主義が定着していたといえるだろう。

自分の中学・高校の頃は、野球部にも悪いやつはたくさんいたが、サッカー部の風紀の乱れたるや、凄まじいものがあった。しかも、野球部の連中にとって部長や顧問は『鬼』だった。だが、サッカー部の部長や顧問は『お兄』という感じだった。「おに」と「おにい」は似ているようで、えらい違いだ。だが、きっと最近は、野球部もサッカー部も大差ないだろうが。

今は野球も個人主義に傾いてきているようにも思えるが、監督の命令やチームプレー優先の精神は、まだまだ残されているだろう。また、サッカーと違って、チームプレーに徹する行為が見た目にも結果的にも分かりやすい(例えば、送りバントとか)。これは、さすがに歴史の重みといってもよいだろう。

さて、サッカーはどうだろうか。今まで個人主義でやってきた選手達が、徹底した管理と組織優先のサッカーができるのだろうか。すぐに不満を言ったり、監督を批判したりしないだろうか。少し、心配である。

個人主義でいくには、残念ながら体格差・体力差が大きすぎる。日本人らしさを出すならば、徹底した管理サッカーを目指すことになるだろう。このオシム氏の『日本化』に、どれだけの選手がついて行けるか見物である。

そして、この『日本化』という言葉は、本当にすばらしい言葉なのだ。サッカーだけでなく、われわれ日本人にも問いかけられた言葉だと感じた。日本は日本なのである。日本人は日本人だ。決して、国際人などではない。国際人のほうが「イケてる」と思い込んでる人は「イケてない」。「イカレてる」だけだ。

政治家、官僚、財界、一般国民すべて、今こそ「日本化」するべきだと願っている。

 

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Posted by 奥田健次 スポーツ |

2006.07.22

『障害者プロレス』、行ってきました。

今日、仕事関係の取材も兼ねて、初めて『障害者プロレス』を観戦してきた。“DOG LEGS”という団体。今年で15周年だという。

非障害者プロレス(←こんな言い方で良いのか?)ならば、仕事の帰りにちょくちょく行くのだが。

今回の障害者プロレス観戦は、職場の同僚・嶋守さやか先生のセッティングによって実現した。出版社の社長と3人で見に行くことになったのだ。

障害者によるプロレスってどんなんやろう。想像すると、こんな感じか?

【試合前のミーティング】
A選手「ここで、ぼくがラリアットに行くときに、ぼくの義足を蹴り飛ばして下さい」
B選手「ふん、ふん、それで?」
A選手「ぼくの義足をリングの外に投げた後、マウントポジションを取ってボコボコにして下さい」
B選手「ふん、ふん」
A選手「ここで、うちのマネージャーがリングサイドに駆け上がります」
B選手「うん、そしたらぼくはマネージャーに向かって行くんだよね」
A選手「そうです」
B選手「ぼくがマネージャーに文句を言っている隙に、後ろから丸め込んでね」
A選手「そんな感じのフィニッシュでいきましょう」
B選手「了解っす」

脚色すればこんな感じの『アングル(試合の筋書き)』に支えられているんだろうと思っていた。

だが、正直言ってもうびっくりした。

ガチンコなのである。ほんとにボコボコに殴り合う、蹴り合う。彼らの繰り出すパンチやキックが、肢体不自由による不随意運動も手伝って、しばしば危険な角度で相手の急所を襲う。

「おいおい、やばいよ、そんなに殴っちゃ」「がんばれ、蹴り返せ」ってな感じで、自然に盛り上がっていくのだ。さらに、軽妙でちょっとブラックな実況アナウンスと解説が、その場を盛り上げる。

印象的だった試合を振り返る。

第3試合の『サンボ慎太郎vs永野V明』。このところスランプ状態に陥っているベテランのサンボ慎太郎が、若手バリバリの永野選手に立ち向かう。永野選手のハードパンチが容赦なく慎ちゃんをボコりまくる。体の大きな永野選手に押しまくられて、一般人体型の慎ちゃんは顔面腫らしてフラフラ状態。会場は自然発生的に慎太郎コール。ここに判官贔屓が生きていた! そして、1Rから殴られながらもグランド状態に引き込もうと我慢していた慎ちゃんが、とうとう絞め技で大逆転勝利。誰もが永野選手の勝利かと思っていただけに、会場の盛り上がりは凄まじかった。

第7試合の『鶴園誠vsウルフファング』。現王者・鶴園に一度も勝利したことのないウルフが、試合前、突然に「この試合で引退をかける」と宣言。試合は鶴園の一方的な展開。2Rはもう続行不可能かと思われたが、本人の意思で試合続行。だが、ウルフの粘りはこれ以上続かず惨敗してしまった。試合後、「体力、気力ももう限界です」と言って涙をぬぐったウルフ(後から思えば、何気に『ウルフ』と呼ばれた千代の富士の引退表明会見と似ているが)。次の来年1月興行を引退試合にするそうだ。初めて見た選手なのに、涙さそうシーンだった。

そして、第8試合メインイベントは『愛人vsプチ愛人』。これは、障害者の父親とその息子(健常者)との親子対決だ。息子は小学1年生。両手両足を使えないように、布で縛って父親と対決する異者格闘技戦、3分3R。親子で話し合って、1Rと2Rは息子の両手は後ろ手で縛られる。3Rのみ、両手は前で縛られる。1Rと2Rは、お互い蹴り合い(踵落とし)の応酬だった。父親の片足攻撃が、適格に息子の顔面や後頭部を捉えている。息子はもう痛みを堪えるのに必至だった。セコンドの母親は「泣くな、動け! 回り込んで顔を蹴れ!」と檄を飛ばす。なんとか、2Rを耐え抜いた息子は、3Rは拘束された腕を前にしてもらえる。すると、やはり動きが全然違うのだ。動き回って、父親に強烈な蹴りを返していく。このまま父親はKOされるのではないかというほどの反撃だった。時間切れ、判定。結果は、2−1の僅差で父親の勝利だった。前回の親子対決では、息子は拘束なしで父親と戦って勝利したそうだが、手足を縛っての勝負で負けてしまった。痛かったのか、悔しかったのか、息子は泣きじゃくっていた。

母親が「今日はよく頑張ったよ!」と両者を称えて抱擁。最後に父親が「おい、帰るぞ!」と叫ぶ。障害者の父親が、父親としての圧倒的な威厳を見せつけた。妻に抱きかかえられながら退場した父親の姿が大きく見えた。

ドキドキあり、ハラハラあり、笑いあり、涙ありのすばらしい興行だった。

北沢タウンホールは満員だった。自分は、実は『週刊ゴング』を購読して10年になる。自分の記憶では、今まで『ドッグレッグス』が取材されたことは皆無だ。最近のプロレス専門誌は、かなりマイナーな団体でも積極的に取り上げるようになったのに、なぜ障害者プロレスを取り上げないのだろう。

プロレスの週刊誌がそんなだから、今日の『ドッグレッグス』を観戦するまでは、客層もボランティアやってますって人ばかりだと思っていた。ところが、非障害者プロレスの客層と同じように、若いニーチャン、ネーチャンも多く、格闘技ファンっぽい中年もいれば、外国人もいた。

自分はここ数年、健常者と過ごす時間よりも発達障害児と一緒にいる時間のほうが多くなっている気がする。後は一人っきり。そんな自分ですら、まだまだ障害者のことをよく知らないんだなと思った。

彼らは、決して「やらされている」わけではない。「やりたい、魅せたい」という表現者たちだ。無敵の表現者による、最高の興行だった。

少しでも多くの人に、それぞれの目で確かめてもらいたいと思う。

自分も、北島代表の著書を読んでみよう。

 

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関連記事:初めてのムエタイ観戦

Posted by 奥田健次 スポーツ |

2006.07.16

白洲次郎に会いに行く

学校の歴史では教えてもらえなかった、カッコいい日本人。白洲次郎。今度、特番があるそうだ。

白洲次郎にゆかりのある人たちを、さんまさんが訪ねて回るそうだ。

TBS系ってことで、どんな番組になるのか目が離せない。少なくとも、文庫も読んでね。

明石家さんま痛快ニッポン男子スペシャル“白洲次郎に会いに行く” 

7月19日(水) 23:55~25:20 TBSテレビGコード(8479529)

「幼稚な正義感」って良いね。自分の生き方に照らし合わせてみても、ぴったり嵌まる言葉だわ。自分も今、白洲次郎の生き方を勉強中。若い世代に伝えなきゃならん。

今の日本を見てごらん。本当に「プリンシプル(ゆずっちゃいけない原理原則)がない」。教育も、子育てもそうだ。これ、かなりまずい状況なんだよ。大人にプリンシプルがないから、そりゃあ子どもはもう統制効かんのは当たり前。

こんな日本だからこそ、白洲次郎の生き方に学ばなければいけない。

 

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Posted by 奥田健次 学ぶこと |

2006.07.13

ココログが使えましぇ〜ん!

このところ、ずっとココログの動きが絶不調で管理画面にすらほとんど入れない状態。ブログの右下の【ココログからのお知らせ】にあるように、7月11日から13日まで閲覧のみになります。

早く解決してよ、ココログさん。ってなわけで、みなさんすみません。

W杯の印象に残ったシーンでも書いときましょか。それは…

1095148842 クリスチアーノ・ロナウドのジャンピング抗議

ポルトガルのFWね。確か、ファウルだと確信していたのに、主審がファウル判定しなかったときに飛び上がって叫んだ場面やったかな。きっと「Por que!?(なんでやねん!?)」って叫んだんやろね。

実際、このシーンが一番印象に残ってるんやから、仕方ないやん。

熱いよ。自分にも流れる熱きラテンの血。ポルトガルの試合が一番熱かった。

 

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Posted by 奥田健次 お知らせ |

2006.07.05

【新刊】リハビリテーションのための行動分析学入門

426321297501lzzzzzzz このところ教科書関係の出版が続いてる。今回は医歯薬出版から『リハビリテーションのための行動分析学入門』を出した。

実はね、自分はこの本の原稿、3年前に脱稿していたの。分担執筆者に、『超』が付くほどの遅筆な先生がおられたため(苦笑)、こんなに時間が過ぎたわけ。寝かせて良くなるワインじゃないんだからさ。原稿は生ものよ(笑)。あ、こんなことを書くとまた誰かさんが、「先生の悪口が、奥田ブログに書かれてましたよ!」って余計なことを言うんだろうね。これのどこが悪口よ? 昔からこうやって火を付けまくる人たちって必ずいるんだよな。気の毒だが、それは病気。治療が必要なの。

話を戻してと。だから、自分としてはちょっと不本意なわけ。3年も前に書いたものを世に出すのは、ちと恥ずかしい。3年前の自分だからね。今の自分と比べりゃ、そりゃやっぱねえ。3年もあったら「あんなことも、こんなことも書けたのに」って、そりゃあ思いますよ。突然、忘れた頃にゲラが送られてきて、「最終校正をお願いします」だもんね。書き直したくても、ほとんど書き直せませなんだ。

でもね、今回のこの教科書、思いっきり行動科学な内容なわけ。しかも、自分が担当した章は、少人数(small-N)の患者さんを対象とした症例研究で使える因果分析法として『単一症例研究法(single case experimental design)』を分かりやすく解説してるのさ(今これナンノコッチャイな人でも本書を読めば分かるさ)。この方法論自体は、自然科学なので今もこれからも利用可能。

医療、心理、教育などの分野での基本図書となるだろう。リハビリ関係での行動分析学の和書は、これが初ではないだろうか。心理学を社会科学だと思い込んでいる人、いや文学だと勘違いしている『方法論なき心理士』には、しっかり勉強してもらいたい。そうでないエキスパートな方にとっても、読み応えはあるだろう。

いま、ざっと見てたらさ、自分以外の先生が書かれた章に『奥田研究室ホームページ』が紹介されてる。聞いてないっす(笑)。ありがとうございまっする。近々、ホームページ、全面的にリニューアル!

 

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Posted by 奥田健次 お知らせ |

2006.07.03

ゆとり第一世代を評価するって? マジで?

「ゆとり教育」を是認する単純な人たちがいる。戦後日本の弱体ぶりが、ここに思いっきり現れている。

議論OK、学生変わった? 「ゆとり第一世代」入学
http://flash24.kyodo.co.jp/?MID=RANDOM&PG=STORY&NGID=home&NWID=2006070101002960
(共同通信)

 授業時間や学習内容が少ない新学習指導要領の下で学んだ“ゆとり教育第一世代”が今春、初めて大学1年生になった。人前での議論が平気で、プレゼンテーションが得意な学生が増加。大学教員からは「今までの学生とは違う」「ゆとりの効果では」という声も上がっている
 「話し合うのを嫌がらない学生が多く、今年は授業がしやすい」。東京海洋大で1年生に日本語表現法を教える大島弥生助教授は変化に気付いた。書きたいテーマを決めて学生同士の議論を重ね、リポートに仕上げる授業で、学生の積極的な発言が飛び出す。

そうかなあ。

人前での議論が平気になったって? それが良いことだとは単純すぎる見方じゃないかね。

言いたいことを言う。そりゃあ今までの日本人らしくないスタイルではある。しかし、何でも思ったことを言うってのが正しいなんて、誰が決めたの?

確かに、何かあると遠慮無く主張する大学生は増えたように思うよ。しかし、どうもそういう学生に限って「目の前の事象にのみ」反応しがち。表面上、いろいろ話してくれるので、黙っている奴らよりも一見議論できるようではある。だが、議論に深みが無いのだ。彼(彼女)らは、知っている言葉、知っている情報に反応しているだけのように思う。何より「文脈」を読み取るのが苦手だ。だから話が表層的。

そして主張が損得勘定に基づいていて、わがまま放題な輩がやたら多い。まあ、自分にとってはそれも教育。親がやり残した子育てだ。大変だが、やりがいもあると。

これは、新1年生に限った話ではない。「ゆとり教育」自体はもう少し前の世代から始まったものだ。文脈を読み取るのが苦手というのは、学生に限らず大人世代も同じ。政治家も官僚も、ほとんどが表面上の事柄に反応しているだけであって、歴史や文脈を勘案したり、近い将来に起こりうる事象の可能性を予測するのが苦手なようだ。ディベートとかって流行ったのも数年前だろう。だが、ほとんど詭弁を弄しているばかりにみえるし、聞けば聞くほど軽さと薄っぺらさばかり感じてしまう。テレビに出てる若手政治家の言ってることも本当に薄っぺらい。

議論する高度なスキルが求められるのは、一般人ではなくて選ばれた立場の人たちのみで構わない。本来の日本人ならば「皆まで言うな」「言わずもがな」で十分だったはず。「ゆとり教育」のお陰で、中身がスカスカなのに、表層的な議論ばかりの詭弁家を増やしてどうするんだ。

とにかく「議論ができるようになった」などと、うわべだけの学生の変化を安易に評価するのは、いかがなものかと思う。それこそ、目の前の事象に反応しているだけではないだろうか。

 

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関連記事:
大学3年生にではなく、30歳代社会人に頭を下げよ。
「ゆとり教育」を継続する亡国、日本。
殴る小学生と殴られる大人
      など。

Posted by 奥田健次 教育 |