« “すぎ”だらけ(too muchなアメリカン) | トップページ | ABA2006参加記(2) »

2006.05.29

ABA2006参加記(1)

初日はのんびりと思っていたが、結局、真面目にペリエ片手にシンポジウムに出てしまった。いきなりだが、アメリカらしい典型的な良い部分と悪い部分がはっきり出ていたシンポジウムであった。

“Teach Town”という自閉症児へのCAI(コンピュータ支援教育)の会社主体のシンポジウム。

アメリカでは、こうした企業が研究発表するケースは日常茶飯事であり、それなりの品質保持と企業PRが目的なのであろう。これ自体、決して悪いことではない。

しかし、内容に関しては今イチだった。不親切なことにハンドアウト資料も企業のチラシ1枚と、印刷中の研究論文のコピーだけ。他の会場の盛況ぶりと比較しても、大きな会場を借りている割に、さっぱりの客入りだった。

この企業から最初のプレゼンをした女性は、コンピュータを指導に使う利点として、次のようなことを挙げている(といっても、資料がないので参加した自分の速記メモ頼りだが)。

教材を減らすことができる。
厳密なデータを収集できる。
スタッフトレーニングが容易である。
トリートメントにかかるコストを減らす。
多くの子どもにとって動機づけを高める。
獲得を促進する。
すぐに試行を提示できる。
般化。
即時強化。

上記のことは、確かにその通りであろう。

しかし、つまるところ『便利でお手軽』ということを売りにしているのであって、職人たる自分の方向性とは異なっている。発表者は「教室を走り回る子どもがいて、教師が『ナンシー、ナンシー、ナンシー、こっちきて座って、ナンシー、ナンシー!』と呼びかけて大変だけど、コンピュータを使えば、じっと座ってくれる」みたいなことを言っていた。

確かに、大学での学生指導をやっているときに、学生が教材の準備にちょっとでももたついていると、その隙に子どもが離席するなんてことはよくあること。アメリカでは、だからコンピュータを使う。だが、自分は学生に「もたもたするな」「子どもを叱るな、もたもた準備しているお前が悪いのだ」「エスケープされるのを待つんじゃなくて、こっちから準備ができるまで離席を許すように」などと指導している。そして、パソコンの前での学習では動機づけが高い、その利点を活用しようというアメリカ的発想。自分は違う。「自閉症の子どもに好かれるセラピストになれ!」くらいのことを、学生らには指導しているのだ。理論は同じでも、方向性が違うのだ。

後は提示されたデータ(Pre-Post Test)について。事前テストで平均60%の正答率だったのが、事後テストで約90%に上がっている。しかし、事前テストの正答率が60%と考えると、これはあまり驚くべき変化ではない。最初からある程度のコンピュータスキル(少なくとも着席しての課題従事スキル)があったのではないか、との疑問を持った。

この疑問は、次の発表者によって裏付けられた。次の発表者は、大学教員の立場からこの“Teach Townプログラム”と“教師による指導”との比較研究を行った結果のプレゼンだった。結果は、確かに“Teach Town”で一定の効果もあったが、参加児の中には“Teach Town”が効果的でない子どももいることを示していた。今後の課題の一つに『どんな子どもが“Teach Town”に合うのか?』としていた。ちなみに、この発表者はこのシンポジウムの指定討論者でもある。

一応、フェアな討論もあった。しかし、シンポジウムの企画者でもあり最初の発表者でもある女性は、この企業代表ということもあって、効果的なことを強くアピールしていた。ちょっとクーラーが寒く感じてしまった。

自分が相手にしている年少の自閉症児をみれば、コンピュータに向かうことができるまでにある程度のトレーニングが必要だということ。つまり、CAIは結構なことだが、その指導を開始するためのレディネスが問われなければならない。この辺りの議論が不足していたことが残念である。

自分の好みで言わせてもらうならば、やはり何でも『お手軽、便利』というのは嫌いである。アメリカ社会では、色んな人が教師・セラピストをしている。教育レベルの高い人もいれば、そうでない人もいる。人種も母国語もさまざま。だから、マニュアルが必要な社会というわけだ。こういう社会で作られた資格は、したがって『最低限の品質保証』的な意味合いが強いといえる。戦後、アメリカを模倣し過ぎた日本でも、資格は『最低限の品質保証』の色彩が強い。自分は、そんなアメリカの資格なんか要らない。日本の資格も要らない。

自分が共感するのはドイツのマイスター制度である。パン職人になるにしても、6年間の修行が必要だという。6年だよ。医者と同じだ。

残念なことに、日本はアメリカ化するばかりで合理化社会に転じてしまった。NHKの『プロジェクトX』が最後の望みだったのだが、この番組も終了してしまったのも時代の流れか? 早く『プロジェクトX2』が始まることを願っている。

自分としては、あえて時代の流れに逆行して合理主義一辺倒を否定し、マイスター制度に倣っていこうと思う。ただし、職人といっても「黙って見てろ、技を盗め」などと言ったことはない。きちんと、理論の説明はするしデータに基づいて指導している。データに基づく職人たれ、である。

 

にほんブログ村 政治ブログへ ←ポチっと一押しに感謝。

Posted by 奥田健次 学ぶこと, 特別支援教育 |