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2006.04.20

困った子どもとのかかわり方

先日、ある親御さんから「保育士や学校の先生に読んでもらいたい行動分析学の入門書は無いですか」と質問された。

自分は迷わず、河合伊六(著)『困った子どもとのかかわり方−行動分析による新しい保育・教育』川島書店 をお薦めした。

これは現場の実践者には、間違いなく読みやすい教科書である。言うことを聞かない子ども、ことばの遅れのある子ども、不登校の子ども、さらには「キレる」子どものことなど、最近よく出会う(目に浮かぶ)事例を取り上げつつ、行動分析学(Behavior Analysis)の基礎原理を学ぶことができるからである。

行動分析学では、いわゆる「問題行動」を起こしている子どもを目の前にしても、問題の原因を子どものせいにしない。子どもの内的要因に原因帰属させず、徹底的に環境との相互作用に焦点を当て、そこにアプローチするのが特徴である。

内的要因とは、たとえば「ストレス」とか「攻撃性」「衝動性」「認識」「依存心」「責任感」「やる気」「向上心」などなど。これらは、『仮説構成概念』といって「ありそうだが、どこにもないもの」なのだ。「どこにもないもの」を、「強い」「高い」だの「不足している」「未熟」などと論じたところで、何の役にも立たない。時間の無駄だ。時間の無駄どころか、害のある場合すらある。「思い込み」は間違いを生みやすい。

だが、世の中ではこうした仮説構成概念を用いた評論が横行している。教育の専門家ですら、そうである。マスコミに出てくる知識人だろうと、学術大会に来ている著名な教育学者であろうと、世間で行われている自由な評論と大差はない。自分が、『居酒屋のおっさん話』と呼ぶゆえんである。

この仮説構成概念が、さも「あるかのように感じる」のは、ある種の行動の頻度が多すぎたり少なすぎたりする特徴を持つからだ。その特徴を、仮説構成概念で説明する(レッテルを貼る)のが、人間の習慣になっているだけだ。学術的な根拠を知りたい人は、『ことばと行動−言語の基礎から臨床まで』の拙稿を一読いただきたい。

行動分析学(または徹底的行動主義)では、こうした仮説構成概念を用いて行動の原因を説明することを避ける。思い込みによる解釈を徹底して排除する。その代わりに、科学的に洗練された実験方法を用いて、ある行動とそれに影響を与える環境因子の因果関係を探りながら、応用の分野(教育や福祉など)では問題の解決に役立つ手立て(変数)を明らかにしていく

やや、小難しいことを書いてしまったかもしれない。だが、本書『困ったこどもとのかかわり方』は上記のような行動分析学からの視点を、うまく織り交ぜている。

数年前、著者の河合伊六先生と学会で直接お会いした際、この本のことについて話をすることがあった。自分は「分かりやすい良い本なので、保育研修とかで教科書として使っています」と報告した。すると河合先生は開口一番、「あの本、タイトルを失敗しました」と仰った。「『困った子ども』じゃなくて、『困った教師・親』なんだよね」というようなことを言っておられた。さらに言えば、『困った教師・親』でもなく、『困った相互作用』ということだったのだろう。それにしても、河合先生はもう大御所も大御所なのだが、ビックリするほど柔軟かつブレないお方である。自分のような小御所も、こうした「柔軟かつブレない姿勢」を理想としている。

河合先生の意図を推し量って、奥田流に本書のタイトルを書き換えるとすれば、『いわゆる「困った子」と呼ばれる子どもとのかかわり方』で良いのではないだろうか。実際に、家庭や教育現場では、親や教師が主観的に「困った」と感じることがあるのは事実なのだから。

いずれにしても、本書が悩める親・保育士・教師にとって助けとなる部分は大きいと、今なお考えている。行動分析学を知らない人にとっては、きっと「目からウロコ」となるはずだ。

 

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Posted by 奥田健次 学ぶこと, 教育 |