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2006.03.08

『臨床いじめ学』について

『いじめの根を絶ち子どもを守るガイド』出版後に書いた記事以降、少なからず反響があって、いじめの問題について取り組んできた自分としては嬉しく思う。

中でも、この問題についてしばしば論争(?)してきたkogai氏による書評は、こちらの思うところが概ね伝わったようで嬉しかった。

bully2 まずは、kogai氏に敬意を表したい。『臨床いじめ学の教科書』という記事において、本書の書評を書いてくれている。なぜ、敬意を表するのかというと、こちらからお願いしたわけではないのだが、kogai氏は「ずっと宿題だった」と感じておられ、とにかく本書を読んでくれたからだ。フェアなお方だ。

ニヒリスティックな大学人(似非学者)よりも、よっぽどフェアな態度といえるだろう。いじめの本などスルーされても仕方がない。いじめの話を聞くだけで、多くの人が敬遠したくなるものだから。それは、きっと自分の弱い部分を突きつけられるからなのだろう。

kogai氏はまた鋭いお方なのだろう。それは『臨床いじめ学』という造語のセンスにあらわれている。そうである。自分が言ってきたことは『臨床』なのであり、自分の仕事も『臨床』なのである。本書の趣旨をごく簡単に見極めておられる。

少しずつ引用していこう。

dankogai氏『臨床いじめ学の教科書』より

何と言っても本書の特徴は、いじめの当事者として「傍観者」という存在に着目したことにある。そう。いじめが成立するには、この第三の存在が欠かせないのだ。いじめに対する介入として行われる行動は、たいていいじめる者(the bully)への制裁と、いじめられる者(the bullied)への保護と補償しかなされないが、いじめに対して最も効果があるのは、この第三の存在である傍観者(the bystander)を、「目撃者」(the witness)へと転じさせるというのが本書が提示する数多く処方の中で最も特徴的なものであろう。

いじめという社会現象は、何も学校内だけでおきるものではない。社会のありとあらゆる現場で発生する、実にありふれた出来事である。前回取り上げた麻原の子女たちの入学拒否もそれに該当するし、下手をすると社会問題の過半がこれに分類可能かも知れない。その意味で、いじめが他人事であるという人は存在せず、その意味において本書は子育ての現場を超えた普遍性を持っている。

ほとんどのいじめ事件において、我々は実は「他人」ではなく「傍観者」である。確かに法律は傍観者でいることを罰する事はない。しかし傍観していることのツケは、あとで確実に帰ってくる。

上記のこと、本当によく本書の特徴(主張したいこと)を示してくれている。kogai氏の口から「傍観していることのツケは、あとで確実に帰ってくる」と言って頂けただけでも、自分としては十分なのである。

本書にも不満はある。本書は「どういじめを対処すればいいか」という臨床的な見地に関しては実に多くの知見を用意しているが、「なぜいじめが発生するか」という生理学的見地に関してはあまり述べられていないのだ。

ここの部分で、kogai氏の関心がどこにあるのか、自分も理解することができた。ただ、本書の原著者および心理学の中でも徹底的行動主義者の自分の基本スタンスとしては、「生理学的見地」について興味を持たない。我々のことばで言うところの「医学モデル」による説明は、行動論者は避けるのである。

あえて、自分に「なぜいじめが発生するか」と問われるならば、「人間には原罪があるから」としか答えようがない。しかし、それはすでに行動論ではない。もう少し一般的な心理学的説明に付き合うとすれば、以前の記事(『高校生意識調査にみる戦後教育の誤り』)から示唆されるように、(日本の高校生の興味関心事が)「『クラスのみんなに好かれる生徒』になること」なので、嫌われないためにいじめに荷担するか傍観者でいるしかない。だが、このような説明の妥当性がいくら高くても、実用性は低いままなのだ。

いじめっ子やいじめられっ子という特性が「生まれつき」のものでないことは、本書を読めば明らかだ。自分が「いじめっ子」、「いじめられっ子」、そして「傍観者」のどれになるかは状況によって変わる。

これこそ、まさに行動論的な発想である。つまり、状況によって行動や役割が変容するのである。その状況(環境)と、行動の結果を分析することが、行動分析学(Behavior Analysis)の主眼なのだ。誤解を恐れず言えば、行動論者の関心は「なぜ人間はそのような行動をするのか」ということよりも、「どのようにすれば人間はそのような行動をするのか」という部分のみである。

というわけで、本書はいじめっ子、いじめられっ子、そして傍観者、特に最後の人にお勧めである。主題からは外れるが、この手の本としては索引がしっ かりしているのもいい。単なる読み物ではなく、何回も「使われる」ことを想定しているのだ。「読む」というより「活用」して欲しい一冊である。

ここまでで、行動論者のラディカルかつユニークな考え方が、ある程度ご理解いただけたかもしれない。まさに本書はハウツー本と言われて恥じることはない、実践の書である。kogai氏から、一定の評価をいただき、力づけられた。

金も政治力もない自分にできることなど僅かであって、目の前にたまたま出会ったほんの一握りの子どもと保護者を相手に骨折りするだけ。だからこそ、本書が少しでも多くの教師や保護者に読まれることを願って止まない。

 

【追記】
kogai氏に「この手の本としては索引がしっ かりしているのもいい」と評価していただいた。実は、原著には索引が無く、索引を付けたのは出版社のアイデアによるものだ。索引の無い本は、教科書としては失格であると自分は考えている。そういう意味で、この本はまさに日本語訳になると同時に教科書(実践書)としてパワーアップしたといえるだろう。

 

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   など。

Posted by 奥田健次 いじめ・ハラスメント, 教育 |