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2006.01.30

幹部を処分する方法を検討せよ

処分する側に対するチェックこそ、重要なのだ。

消える?「不良国家公務員」 人事院が処分の指針づくり
http://www.asahi.com/politics/update/0129/001.html
2006年01月29日10時00分(asahi.com)

 職場でインターネットざんまいといった「不良国家公務員」をなくそうと、人事院が処分の指針づくりを始めた。免職や降格ができる「分限制度」はあるが、不服申し立てや訴訟を恐れた各省庁が「職員の処分に慎重になりがち」(人事院)で、制度が十分に活用されてこなかったためだ。
 国家公務員の処分は、「勤務実績不良」や「適格性欠如」などを理由に免職や降格ができる分限制度に基づいて行われる。ただ、実際に免職になったのは、04年度で一般職65万人中わずか35人。免職の多くは行方不明者で、「適格性」の有無を問う以前の事例だった。降格は1人に過ぎなかった。
 各省庁には、度重なる無断欠勤や遅刻・早退、上司への反抗や暴言、セクハラ(性的嫌がらせ)などの事例が報告されているが、担当者が対応に頭を痛めている。
 このため、3月を目標に指針を策定し、実例に基づく問題職員のケースや、処分に至る手続きなどを示すことにした。注意や配置換えをしながら、半年から1年間観察し、警告したうえで処分するという手続きになる見通し。地方自治体の先行例を参考にする。
 政府は現在、国家公務員の総人件費削減を進めている。分限制度では行政改革や財政難を理由にした職員の処分も認めているが、人事院は、今回の指針は「問題職員」に限り、こうしたケースに広げない考えだ。

こうした記事に騙されてはいけない。

最近、一般企業にしても公務員にしても、幹部や管理職クラスの連中に、若手の能力を削ぎ落とそうとする小心者が目立つ。少なくとも、『期限付き職員』の採用枠を増やしている社会構造を見ると、気に入らない奴は更新しない、生意気そうな若手には辞めてもらう、正規職員にして欲しければ理想を捨てさせる、同僚へのいじめに荷担させる。こういった最悪の図式が構築されているのは明らかだ。

上記の記事には、「各省庁には、度重なる無断欠勤や遅刻・早退、上司への反抗や暴言、セクハラ(性的嫌がらせ)などの事例が報告されている」とあるが、部下に対する嫌がらせ(パワーハラスメント)が抜け落ちているではないか。

大学などの組織でもそうだが、処分する側(つまり幹部クラス)にこそ、平気でハラスメントをしまくる人間がいるものだ。幹部クラスが処分と称して、パワハラ(パワーハラスメントの略)を行うことを、どのようにして防止するのか? 指針に基づく処分がハラスメントの隠れ蓑になりはしないか? 幹部に対する評価と監督をどうするか、しっかりと考えていただきたい。

郵政民営化の一連の流れのときの、自民党執行部を見てもらえばよい。小泉が造反と言ったら造反であり、イエスマン武部が処分と言ったら処分だった。このとき、だれも若手議員の言い分に耳を傾けなかった。マスコミも。国民も。不当な処分を受けた若手議員のことを取り上げよう。当選の約束手形である自民党公認を受けることよりも、日本国民(祖先も含めて)のことを考えて民営化反対を貫いた城内実氏は、自民党執行部によって首を斬られてしまった。こうした自己犠牲を伴う覚悟ある人物こそ、今の日本には必要だったのに。

日本の国を動かしている政治家がこんなものなのだ。こうした図式(年寄りが若手の力を封じ込める)だらけの世の中である。「長い物に巻かれる人間」「理想よりも保身の人間」「出世のためなら仲間も殺せる人間」だらけの社会は、明らかに異常なのだ。気が狂っているとしか言いようがない。狂っていることに気付いている人が少なすぎる。

さしあたって、処分を決定する部局の半数は、若手で占められておくようにするなど、『パワハラ首切り』を阻止するシステムが必要だ。

 

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関連記事:郵政関係で粛正、また1名。
     など

Posted by 奥田健次 いじめ・ハラスメント, 社会, 経済・政治・国際 |

2006.01.29

モチモチの木

自分にとって、今でも本棚から取り出すだけでも勇気のいる1冊がある。

『モチモチの木』

mochi これほど、自分が恐る恐るページをめくった絵本はない。

滝平二郎の版画のような切り絵が、冷たく温かく美しい。

主人公の5歳の豆太は臆病者。読者は豆太の弱さに感情移入する。豆太がどうしてもこの臆病を克服しなければならない日が突然やってくるのだ。しかも、たった一人で克服しなければならない。

この絵本は、思いやりや優しさ、真の勇気というものを教えてくれる。

大人にとっても、真の勇気とは何か、この絵本から問いかけがあるのではないだろうか。

 

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Posted by 奥田健次 イチ押し☆の絵本 |

2006.01.25

いじめのある現場で解決する策がある

ブログならではといえるコミュニケーションだったといえる。

先々週の記事になるが、まずブラジル在住のdesclassifica氏が『いじめは日本だけの現象かもしれない』という記事を書かれた。これに対し、自分は『いじめの国際文化比較』という記事を書いた。

その後、『404 Blog Not Found』のdankogai氏が『社会あるところにイジメあり』という記事を書かれ、自分やdesclassifica氏の記事を引用されつつ、いじめについてのご自身の見解を述べられた。

さらにその後、desclassifica氏『今、そこにあるいじめ』、dankogai氏『いじめの非対称性』、desclassifica氏『非対称でもいいじゃないか』と、それぞれ記事のやりとりがあった。こうした一つの記事がきっかけとなり、生産的な方向で議論されることは良いことだ(自分は、ちょっとしたストーカーへの対応に時間を取られ同時進行で議論できなかったが)。

それぞれの記事で反響があったようだが、dankogai氏が「これだけ多くの人にブックマークされながら、これほどTBやcommentが少ないというところに、いじめ問題の特徴が透けて見えるようだ(『いじめの非対象性』より)」との指摘は、的を射たものだ。いじめの問題の特に困難な部分は、見て見ぬふりをする多数の傍観者にあると言ってもよい。誰も、自分の疚しさに目を向けたくないものだ。

さて、自分は教育評論家ではない。ブログでは論文審査があるわけでもなく、自分のその時々に思ったことを綴っているので、あたかも評論家のように見える。しかし、繰り返すが自分は評論家ではない。

自分は実践している臨床家である。いじめの問題についても、実際の教育現場で直接、教師や子どもの間に入って解決のための取り組みをしている。

まず、念を押しておきたい。教育現場や会社組織の中で、目の前にあるいじめの問題について、「人間社会にイジメはつきもの」と達観したようなことを言っても仕方がない。また、「昔も今も変わらないだろう」という新自由主義者を支持してきた人によくみられる論調に対しても、それ自体が正当な理屈とは言えないだろうし、やはり目の前にあるいじめの問題解決には、まったく役に立たない。したがって、現場で実践している自分にとっては、こうした次元の論評にはあまり興味が無いのである。

以下の自分の記事をご理解いただくためには、まず順を追って一連の記事をご覧いただきたい。

desclassifica氏『いじめは日本だけの現象かもしれない』
当ブログ『いじめの国際文化比較』
dankogai氏『社会あるところにイジメあり』
desclassifica氏『今、そこにあるいじめ』
dankogai氏『いじめの非対称性』
desclassifica氏『非対称でもいいじゃないか』

実践家として指摘しておかなければならないことがある。いじめ問題を解決する方法として、『いじめられっ子の逃げ場が用意されていること』というのは確かに一つの解決策ではある。状況によってこうした解決策を選択したこともある。だが、これは最良の策ではない。どちらかというと、あまり推奨できない解決方法だといえる。

教師(大人)として目指すべきは、いじめのある集団の中で、『いじめっ子−いじめられっ子−傍観者』から構成される『いじめの輪』を断ち切り、『和解のための筋書き』を用意し、その集団にかかわった子どもにそれぞれの新しい役割を演じさせることである(Coloroso, 2004)。

もちろん、このことは本当に骨の折れる作業であって、容易なことではない。それは、実際に現場でこうした問題を解決するための支援を行ってきた自分が強く実感していることだ。教師には「いじめを解決する作業は、大河ドラマを作るレベルの話ですよ」と話してきた。

しかし、これは実現可能なことである。

いじめられた側がその集団から出ていくことは、いじめる側とその周りにいた傍観者達にとって悲劇的なことだ。読者諸氏においては、今まで『いじめられっ子の悲劇』は想像したことがあるかもしれない。しかし、いじめの問題は、いじめる側にも傍観者にとっても放置しておくと悲劇を生み出すということを、ほとんど意識して来なかったのではないか。

いじめっ子も、いじめに荷担した人間も、いじめを知っていながら何も出来なかった傍観者も、『和解のためのプロセス』を経ないまま大人になることは恐ろしいことだ。和解とは本当に苦しいことなのだ。

また、集団から出ていったいじめられっ子も、さしあたって不快な状況から逃れることはできるのだが、自尊心に傷が付いたままだったり、攻撃的になってしまったり、その他いろいろなマイナスの側面もある。「許し」とは、いじめる側や社会にのみ必要なことではない。いじめられた側が、いじめた側を「許す」ことほど、難しいことは無い。これは実に難しいことなのだ。

結論を言うが、ある社会状況においていじめが発生することは否定しない。だが、人間はそれを解決する知恵を持っている。解決のためには、読者諸氏の想像以上に『大人が干渉しなければならない』のである。放っておいて、子ども同士で解決すると思わないほうが良い。「今、そこにあるいじめ」に目を背ける教師や心理士がたくさんいることは嘆かわしいことだ。

和解のプロセスを経ずして大人になってしまうと、これはかなり厄介な社会状況を生み出す。大人社会では、干渉してくれる存在など、ほとんど無いからである。干渉する暇がない。知見と技術もない。だから、モチベーションもない。その結果、大人は和解を模索するよりも逃げること(あるいは攻撃すること)を提案しがちなのだろう。

こうした和解のプロセスを知らないために、子どものいじめに真正面から対峙しようとする大人が少ないことは当然のことである。それでも、子ども達のために、そしてこの国の将来のために、子ども達に和解のプロセスを経験させてやらねばならないのだ。

ところで、近々、いじめ問題についての良書が翻訳出版される。今回の記事が、絵空事のように思われるなら、ぜひともその翻訳書を楽しみにしていただきたい。いじめの輪を断ち切る方法、そして和解のプロセスというものがあるということを、ぜひ知って頂きたいと思う。

出版後、当ブログで改めて紹介する。

 

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Posted by 奥田健次 いじめ・ハラスメント, 教育 |

2006.01.24

ヒューマノイド・テラピー?

この冬、ドクタースランプの則巻千兵衛博士ばりに、ロボット作ってみた。

年甲斐もなく、誕生日プレゼンツを戴いたものですから。さんくす!

ASIMO 時速6キロで走るホンダの『ASIMO』は有名だ。コマーシャルでも、子どもと一緒にかけっこしているASIMOを見たことがある。

自分なら、あんな仲良く走り回らないと思うぞ。きっと、ドロップキック一発、かましていると思うぞ。マンガチックに、バナナの皮を踏ませてみると思うぞ。忍者チックに、鳴子を仕掛けてみると思うぞ。

子どもとは、それほど破壊的な存在なのだ。破壊するから子どもなのだ。

さて、自分が頂戴したヒューマノイド。作ってみると意外と面白い。

200601182143  
作成中。

あと少し。

 
 
 
 
 
 

200601182152  
完成!

マジで歩くやんけ。

 
 
 
 
 
 
 

結構、愛着も湧く。

そんなわけで。

命名しました。






その名も。










ヒューマくん。

















ホシ☆ヒューマ。

『つのだ☆ひろ』とは無関係。『巨人の星』とも無関係。ヒューマノイドやから、ヒューマなのだ。

足の速さではASIMOには遠く及ばないが、うい奴じゃ。

 

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Posted by 奥田健次 脱力系 |

2006.01.21

りょうま通信vol.8

事務局です。

『りょうま』が、仲良しのポポくんをご招待。

06_1_20_1 
よかったね。ポポくんが、遊びに来てくれて。しかも、いきなり「好きー!」って言われたんだよね(*^_^*)

 
 
 
 
 
 

06_1_20_2 
 ところが…。やっぱり体の大きさが違うのか、ちょっと動きが合わないみたい。『りょうま』早とちり。ポポくん、出とちり。

 
 
 
 
 
 

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あせったポポくんが、カワイすぎるよねぇ。でも、あれれ。さっさと暖かいところに戻っていくよ…(^_^;)

 
 
 
 
 
 

06_1_20_4 
新幹線は休みませんよ(^^;)。こだまはチーズじゃありませんって(^_^;)。チッチキチーです。

 
 
 
 
 
 
 

06_1_20_5 
いろんな会話をしています。うちの『りょうま』が、ほとんど無理矢理「正月といえば古畑でしょ」って教えているみたい。

 
 
 
 
 
 

06_1_20_7 
え!? なんの記事? 小岩井いちごとミルクだっけ。チーズ、小岩井系ドリンク、お料理が大好きなポポくん。また遊びにきてね☆

 
 
 
 
 
 
 

by『奥田健次の教育改革ぶろぐろ部 事務局』

 

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Posted by 事務局 脱力系 |

2006.01.16

「死ね、振り込め」という弁護士

経緯をよく知らない読者に、まずは順を追って事実関係を書くことにしよう。長文だが、ぜひとも読んで頂きたい。

まず、自分の書いた『皇族たちの真実』(2005.12.12)に対して、岡村善郎という見知らぬ男からトラックバックが送られてきた。トラックバックが送られてきた日時は、2006年1月8日未明である。反論のような内容であったが、削除はせずに放っておいた。

自分は同日の午後5時に、『新選組!!』という記事を書いた。これは、NHK正月時代劇『新選組!! 土方歳三 最期の一日』を見た感想文である。

するとこの岡村氏は、同日午後9時に『いちゃもん』という記事を書いて、またもトラックバックを送ってきた。トラックバックを受信したのが、翌日9日の午前7時前であった。

この記事の内容があまりにも常軌を逸した内容で、「死ねばよい」「死ねばよい」というものであった。反論はいろいろあって当然のことだが、「死ね」と書いた記事をわざわざトラックバックで送りつけてきたわけだ。

自分はこうした無礼極まる男を相手にする暇など無いのだが、1月8日に書いた『新選組!!』の記事に追記としてコメントを掲載した。以下、長くなるので省略しながら要点を再掲する。

[追記(2006.1.9)]
(中略)
ただ、氏とまともな議論になりそうにないのは、どうも感情のほうが強く表れているためのようだ。二つ目のTBなど、氏のタイトル通り「いちゃもん」に過ぎない。自分が「こんな時代はスカだ」と書いたら、氏はこの言い回しのみに反応し、「だったら死ねばよい」という。

面識もない御仁に二度もTBを送りつけられた挙げ句、「死ねばよい」なのだそうだ。ある意味、御仁の社会的立場も顧みず、こんなアホーなことが書ける勇気には拍手を送ってもよい。自分もブログではアホアホなことを書いているからだ。さすがに自分は特定個人に対して「死ねばよい」とまではとても言えないが。

それにしても、こうやって見知らぬ人に読んでいただけるブログの威力というものは大きなものだ。

まあ、今回の岡村氏によるストーカーまがいのTBもプロレス的には歓迎してもよい。どこぞの名も知れぬインディーの選手が土足でリングをまたいできただけの話。だから、新たにエントリーを立てずに[追記]で応じる程度にしておこう。

この追記を書いたのが1月9日午前中のことであり、氏のほうから送られてきた『皇族たちの真実』『いちゃもん』にそれぞれトラックバックを返して差し上げた。ちなみに、このトラックバック返しが、自分から氏のブログに対する初めての送信である。

すると、なんとこの日の夕方には、氏はこちらから送ったトラックバックを2つとも削除していた。そして、同日の夜9時に氏は何事も無かったかのように『死に場所』という記事を書いている。

自分はこのことについての顛末を記しておこうと、『新選組!!』の記事に以下の追記をさらに追加した。1月10日の午前中だった。

[追記(2006.1.10)]
上記の追記(1月9日)を書いた後、岡村氏のブログにTBをお返しさせていただいた。それが昼前のこと。仕事を終えてから、高知龍馬空港のワンコインPCでブログチェックをして気が付いたのだが、自分が送ったTBは2つとも削除されていた。

唖然。呆然。笑ってしまった。なんだよ。せっかく氏とは実名同士で胸襟を開いて議論できそうだと楽しみにしていたのに。サヨク的な人って自分に都合の悪いTBは削除するという噂を聞いたことがあるが、本当にそうだな。

名指しで場外乱闘をしかけてきておきながら、こちらからほんの少しご挨拶しただけで何事もなかったかのようにするとはな。自分は売られた喧嘩は必ず買うことにしているのだが、肩すかしもいいところだ。
(中略)
面白いのは、トラックバックが削除されたその日の夜に、氏が「死に場所」という記事を書いている。この御仁、まだそんな言葉の上っ面の修正ごときで自分の記事の正当化を図ろうとしているのだ。そして相変わらず「どうしても死にたくなったら,自らの意思で呼吸を止めて死んで見せましょうね」だと言う。呆れた。

自分のブログの読者なら、自分が「どうしても死にたくなった」など微塵も考えていないことくらい理解している。読者の一人(主婦の方)から、「...岡本(原文ママ)さんの書いていることは支離滅裂ですね、死ねと言ったり不遜だと言ったり...」というメールをいただいたが、まったくその通りだ。
(以下、略)

すでに2つ削除されていることもあり、また氏のブログの読者にも氏の異常ぶりを知らせることになるのを憂慮し、自分からトラックバックを送ることは控えておいた。

すると氏は1月10日午後11時頃、『なんだか良く解りませんが』という記事を書いたが、今度はトラックバックを送ってこなかった。かなりとぼけた内容で、議論のすり替えも目立つ記事だった。

自分はこれを最後にということで、3度目の追記を書いた。1月12日であった。

[追記(2006.1.12)]
今度は上記の1月9日の追記を書いたところ、岡村氏は1月10日に『なんだか良く解りませんが』というエントリーを立てている。そこでは、この自分の記事にリンクは貼ってあるものの、こちらの名前も出さず、TBも送ってこない。つまり独り言の続き。

読んでみれば「コメントがどうとか」言い訳ばかりで、ワケが分からない。こっちは実名ブログ。コメントを送るにしても実名で送るに決まっている。自分は「昼間のコメント」など見てもいない。

それにしても、勘違いしてTBを消すか? こっちは氏が送ってきた2つのTBの元記事に、丁寧にそれぞれ送り返しているのだから、万が一、片方の TBを削除したとしても、もう1つのTBで気が付くだろう。というか、いずれにしてもこちらのTBを削除したのは事実ではないか。

それから、1月11日午前3時にこの記事へのコメントが2つ付いていた。こうした匿名の非道なコメントは残し(36時間以上待ったが削除されない)、こちらから直球でお返しした実名のTBは削除(しかもたった数時間以内で)なんだから、本当に呆れるばかりである。
(以下、略)

同じく、氏の社会的な立場に配慮して、こちらからはトラックバックを送ることはしなかった。

しかしながら、岡村氏は『良く解らないことの続き』という記事を書いて、1月14日午後8時に公開している。内容を読んでもらえれば分かるが、とても正常人の書いた文章とは思えない。どうしても自分に死んで欲しかったようだ。

さらに、その数時間後、氏は『自殺者3万人』という記事を書いたようだ。そして、今度はこの記事を翌日15日の午前7時に自分の『新選組!!』の記事に対してトラックバックを送ってきた。また、同日午前7時、氏は『「自殺者3万人」について』という記事を書いている。そして、同日午後1時過ぎ、氏は関連して『自殺死亡統計の概況』を書いている。

ここまでが今日までの経緯である。

岡村弁護士。50歳前後の男のようだが、論理もへったくれもあったものではない。守るべき家族や娘もいるだろうに、実名ブログであれだけのことを書く勇気には敬服できるところもある。だが、あまりにも幼稚というか異常である。

3つの『追記』の中で、こちらが問うたことにはとぼけるばかりで回答にもなっておらず、今度は「...であれば,いつでも議論に応ずるよ。但し,僕の単価は1分間00万円以上ですから,まとまった金の入金が確認された後になる(『「自殺者3万人」について』より)」、「私に,文章を書くことを求めると,1分間あたり00万円が請求されます。これまでの依頼者も皆,そのような金額をお払い頂きましたので例外を認めるわけにはいきません。口座番号を知りたければ,どうぞメール下さい(『良く解らないことの続き』より)」という。

なんだか、最近のあれを思い出さないか。「振り込め、振り込め」というやつに。少なくとも、こんな記事を送られてきた自分には、過去に1度『振り込め詐欺』メールを受信した時と同じ感覚がした。

どうもこの弁護士、「自己弁護」がお好きなようだ。また、習い性なのかもしれないが、どうしても言葉尻にのみ反応してしまい、文脈を読み取ることが苦手なようである。ネットやってる中学生レベルの反応だ。いや、まだ健全な中学生のほうがよっぽど良く理解している。

坂本龍馬が「溝の中で死ぬことになっても、前のめりの姿勢で死にたい」と言ったら、岡本氏は溝の前にロープを用意してしまうのだろうな。

岡村氏は、以下のことに答えられるのか。

1)氏は「死に場所を探したいと書いてあった(『良く解らないことの続き』より)」と言うが、「死に場所を探したい」と当ブログのどこに書いてあるのか。

2)今回のこと、先にトラックバックを送ってきたのは誰か。こちらから送った2つのトラックバックを削除した理由を明白にできるか。「昼間のコメント(『なんだか良く解りませんが』より)」と言うのなら、そのハンドル名、内容を明らかにするべきだ。また、なぜそのコメントを削除したのか理由を明白にするべきだ。

3)「新撰組を例に挙げられた以上,賊軍派としては仁義を尽くさざるを得ない(『なんだか良く解りませんが』より)」と言うが、自分が1度でも氏のブログに対して例に挙げたことがあるか。また、誰に対する仁義を尽くすのか。そして、その理由は。

4)「物の道理が解る人物と錯覚した自分が愚かであった(『なんだか良く解りませんが』より)」とあるが、今回の件での「物の道理」とは何を意味するのか。

5)「自分の意思で呼吸を止めたらいつでも死ねますと親切な解説をしました(『良く解らないことの続き』より)」とあるが、自分が見知らぬ氏に対して1度でも解説を依頼したことがあるか。相談したことがあるか。また、自殺の方法を提案し公開することが「親切な解説」と考えているのか。

6)「...であれば,いつでも議論に応ずるよ。但し,僕の単価は1分間00万円以上ですから,まとまった金の入金が確認された後になるのは,悪しからずご了承下さい(『「自殺者3万人」について』より)」とあるが、誰も依頼も相談もしていないのに、そのような料金が発生するのか。氏の所属する相談事務所や弁護士会では、他人のブログ(日記)にトラックバックを送り(押し売りし)、相談料を換算するシステムがあるのか。

7)氏はしばしば一度書いた記事を誤字脱字レベル以外で加筆修正しているようだが、それは個人の勝手ではあるが1月14日の午後9時に書いた記事(『「良く解らないことの続き」について』)を削除したのはいかなる理由か。その記事で「昼間のあの子は良い子じゃったのに,夜のあの子とは違う子になってしもうたのう」とあるが、それぞれ誰のことを指しているのか明白にするべきだ。

削除された記事画面はこれだ。

okamura氏もこれを一度は公開しているわけだから、今さらもし「その記事を隠せ」と言うにはそれなりの妥当性の高い根拠を明白にするべきであろう。もしくは、何か間違いがあったのであれば謝罪が必要だろう。

さて。この弁護士は相当、お暇なようだ。ブログの記事の更新頻度だけでなく、トラックバックやコメントの選択・削除までやっておられるのだから。コメント機能付きのブログであるにもかかわらず、あまりも読者が少ない様子だ。今回の一連のことで、そして今回これを記事にしたことで、当ブログから沢山の訪問アクセスがあっただろう。

こちらは、365日ずっと全国を駆けめぐって仕事をしている。自分には毀損される名誉など無いので「馬鹿」と言われようとも腹は立たない。だが、自分は自分の仕事についての誇りを持っている。今回のことでも、多数の親御さんや学生達から「相手にしないで」と自分のような荒くれ者を気遣うメッセージを頂いた。こうした人達に囲まれていることも自分の誇りだ。これを汚し邪魔するならば決して許さない。

それでも今回、相手にしてしまったのは自分の性格なのかもしれないが、こんなことで無駄な時間をこれ以上、費やしたくないためである。自分がこの男に触れることは、今回で終わりにしよう。暇人に付き合う暇は無い。所詮、またとぼけるか、言いがかりか、あげ足取りかしかできないのだろうから。

後は、読者のコメントに耳を傾けることにしようと思う。そして、この弁護士から「振り込め」の請求書が到着するか、内容証明郵便でも来るのを待っていよう。それとも暴力でも仕掛けてくるのだろうか。

※今回の記事についてはコメントを一定期間、受け付けたいと思います。記事に無関係なものや、単なる誹謗中傷コメントは削除します。ただし、内容が内容ですので、多少の過激なコメントならば残すことにします。

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Posted by 奥田健次 社会 | | コメント (32)

2006.01.15

りょうま通信vol.7

事務局です。最近の『りょうま』。

なかなかの人気者です。

06_1_13_1
可愛すぎるよぅ。「いずこへ?」って吉本新喜劇みたい(^_^)。

 
 
 
 
 
 
 

06_1_13_2 
先生の脱稿、そんなに羨ましいの? つーか、『りょうま』も何か書いてるんかいっ(-_-)。

 
 
 
 
 
 
 

06_1_13_5 
寝言編。出張してる夢を見てるの? あ、幼稚園なんだ。

 
 
 
 
 
 
 

06_1_13_3 
川柳を。トイレットトレーニングなんだね。確かに、トイレを嫌がる子どもが来てくれたら、ありがとうだよね。

 
 
 
 
 
 
 
 

06_1_13_4 
そんな無茶な(^^;)。そんなもの踏みつぶす人は賢母じゃないと思うよ。「ケータイを踏みつぶしたら」でしょ?

 
 
 
 
 
 
 

by『奥田健次の教育改革ぶろぐろ部 事務局』

 

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Posted by 事務局 脱力系 |

2006.01.14

トックの昔話

まあ、そんなもんだろう。

自分も「トック」と音それだけを聞いたら、「ああ、韓国料理かなんかやろ?」と思うもん。それか地元・阪急沿線の人ならば「TOKK」でしょ。阪急電車の情報誌。「宝塚、大阪、神戸、京都」の頭文字やね。良くできてる。

だが、政府の「トック」は、誰も知らない。知られちゃいけない(?)。

以下、引用。

構造改革特区、6割が「知らない」 内閣府が世論調査
http://www.sankei.co.jp/news/060112/sha077.htm
(Sankei Web)

 内閣府が12日発表した「特区制度に関する特別世論調査」で、地域限定で規制を緩和する構造改革特区制度について「名前も内容もある程度知っている」との回答が19.0%だったのに対し、「名前も内容も知らない」と答えた人が58.3%に上り、国民の認知度が低いことが明らかになった。特区について内閣府が実施した世論調査は初めて。
 2002年12月の構造改革特別区域法成立から3年。どぶろく特区や株式会社の学校設置など500以上の提案が実現しているものの、多くの国民は「生活で規制を意識することが少なく、特区制度への関心が高まらない」(構造改革特区推進室)とみられる。
 特区制度への期待でも「地域活性化への活用」(37.5%)に次いで、34.5%が「特に期待するものはない」と答えた。
 特区制度で実施された規制緩和は1年後に弊害がなければ全国展開される。この全国展開について、過半数が「当然」や「必要」と答えたが、地域の努力などを考慮し「全国に広げない方がいい」も18.8%あった。
 調査は昨年11月下旬から12月上旬にかけ、全国の20歳以上の3000人を対象に実施。1746人が回答した。
(共同)(01/12 17:49)

以上、引用終わり。

もう阿呆らしくてマトモに議論する気もしないんだよ。今頃、何やってんだ。何言ってんだ。

そうだ。「何言ってんだ」で思い出した昔話。左翼思想家だった家庭教師が、嬉しそうにRCサクセション「ラブミー・テンダー」を何度も聞かせてくれたものだ。

「何言ってんだー 税金(かね)かえせ 目を覚ましな たくみな言葉で一般庶民を だまそうとしても ほんの少しバレてる その黒い腹」

このアルバム、RCサクセション(忌野清志郎)の所属する東芝EMIが「素晴らしすぎて発売できません」と抜群のセンスのコピーを付けて発売中止にしたんだよな。この歌詞、原子力発電所を批判する内容だったから。親会社の東芝は、原子力発電所建設に関わる大手企業。圧力がかかったのだ。こうした構図は昔も今も変わらない。

トックもええけど、ナムルも喰いてぇ。

また「ねんきん」みたいに柔らかいイメージがいいからって、全部ひらがなにでもすればいいのだ。30年後の日本は平仮名だらけかね。ハングルしか使わなくなった韓国みたいに、漢字の書物が読めない時代が到来するのかねえ。

まったく雅(みやび)な話だぜ。

 

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関連記事:「年金」が「ねんきん」に

Posted by 奥田健次 社会 |

2006.01.13

いじめの国際文化比較

大変、興味深い記事だ。

当ブログの記事を読まれた上で、「いじめは日本だけの現象かもしれない」という記事を書かれた『ブラジリアン・ガールと不器用な俺の物語』というブログの著者、desclassifica氏からトラックバックをいただいた。

まずは「ブラジルには(日本のような)いじめが存在しない」とのことである。

desclassifica氏はブラジル滞在中の経験から、ブラジル人は「他人をいじめている暇などない」「自分が幸せになるので手一杯」であると実感されたようだ。

重要な指摘だったのは、

(ブラジル人は)他人を不幸にすれば相対的に自分が幸せになるとは考えない人たちだ。その点日本人は逆で、他人との相対的な関係性でしか幸せを自覚できないのかもしれない。だから次々にいじめのターゲットを作り出すのだろか。

という部分である。

戦後日本の場合、どんな人でも平均的な経済水準での生活が約束されている。少なくとも、通常、餓死することのない社会である。しかし、この「平均的な経済水準」というのが厄介で、その中での小競り合いが起きてしまう。この小競り合いの中で、同じコミュニティーの他者との「ちょっとした違い」が現れてくる。色々な意味で「あいつは(私たち仲間と)違う」と自分らと異なる他者を排除する土壌があるのだ。

desclassifica氏が指摘するように「(日本人は)他人との相対的な関係性でしか幸せを自覚できない」傾向が強くなってしまったことは否めない。

いじめが起きにくい考え方はこうだ。「ちょっと変わった奴だが、アイツはアイツ」「オレはオレで頑張っているし、そんなオレが好きだ」というセンスを持つこと。だが、日本人には「嫉妬」やら「優越感」などが入りやすく、得てして他者の足を引っ張ることに取り憑かれてしまいがちなのである。

日本では「足の引っ張り合い」がみられ、ブラジルではそんなことをしていると食えなくなるかもしれないから「背伸びし合い」をするのだろう。日本人は「アイツはずるい、自分は不満だ」と感じる人が多い。一方、自分がアメリカにいた頃に出会ったブラジル人の友人は「自分がどれだけ楽しいと感じるかが大事だ」などと言っていた。まさに、相対的な価値観と、絶対的な価値観の違いだ。

ちなみに、日本に限らずアメリカやカナダやイギリスなどで世界を驚かせるほどの悲劇に至った、いじめが原因で引き起こされた事件が多数みられる。desclassifica氏の記事は、こうした国際文化比較という側面で、われわれに大きな示唆を与えてくれるものだ。

確かなことは、日本は今、急速に新自由主義(または拝金主義)の社会に向かっている現実だ。自分は損をしたくない、だから強い者についておこう。このような社会では、いじめの問題はさらに悪化していくことは間違いない。日本のリーダーがこんなことをしているのだから、そんな国が作る教育がマトモなわけがない。

自分は、いじめ問題をかかえる小学校に出向いて解決の実践を色々と提案している。はっきりいって大変な仕事なのだ。まず、この問題から逃げようとする教師の多いこと。本音を言えば、こんな教師には殺意さえ芽生えるのだ。まあ、これはまた別の機会に書くことにしよう。

自分は『奥田流・無人島グループエンカウンター』を提案している(まだ、実現していないが)。いじめのある学級の子ども全員を無人島(様々な仕掛け付き)に送り込む。そこで、力を合わせるまでは脱出できないように仕掛ける。「いじめなんかしていたら、お前ら全員、死ぬぞ」ということを子ども自身に気付かせるのだ。最初はいざこざが絶えないだろうが、いざこざやっているうちは絶対に脱出できない。全員がそれぞれの力を合わせたときに初めて、無人島を脱出できる。こんな究極の場面では、いじめを無くすことが可能なのだ。脱出できたときの子ども達の達成感は、他では味わえない程のものになるだろう。

無人島は利用していないが、この方法のエッセンスはすでに使っている。賢い読者ならば、この無人島式の狙いが分かるはずだ。

 

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関連記事:完膚無きまで叩きのめす大人たち
     など。

Posted by 奥田健次 いじめ・ハラスメント, 教育 |

2006.01.11

がんばれ、タニシ。

外来種の動植物の繁殖による環境破壊が進んでいる。

日常生活では特に意識することもないのだが、国内旅行に出かけて自然に触れる際、この問題を感じることもある。

外来種の繁殖によって、在来種である動植物が絶滅の危機に瀕しているのだ。

そこで、出張先のホテルでもらった朝刊に、拍手を送りたくなる記事を見つけた。

ブルーギルに天敵 巻き貝、卵食べる
http://www.sanyo.oni.co.jp/newspack/20060110/20060110010030961.html
(山陽新聞WEB NEWS)

 琵琶湖に生息するカワニナ類やヒメタニシなどの巻き貝が外来魚ブルーギルの産卵場所に集まり、卵やふ化したばかりの稚魚を餌にしていることを沢田裕一滋賀県立大助教授(生態学)と大学院生の中尾博行さん(28)らが10日までに突き止め、食べる様子を撮影した。
 琵琶湖では巻き貝の生息場所とブルーギルの産卵場所の深さが一致し、在来種を食い荒らし激増するブルーギルの思わぬ“天敵”となったといえ、県自然環境保全課は「繁殖阻止のヒントになる」と注目している。
 琵琶湖のブルーギルは、水深約0・5−2メートルの浅瀬で、雄が尾びれですり鉢状に穴を掘り、雌が直径約0・7ミリの卵を数万個産む。
 沢田助教授らは昨年夏、湖を調査中に、産卵場所にこうした巻き貝が多いことに気付き、調べると通常の10倍以上いた。卵がふ化し稚魚がいなくなると、巻き貝が半減した場所もあった。
(1月10日17時29分掲載)

いいぞ、いいぞ。どんどん食べてちょうだい。

週に2、3度、回転寿司でさっさと食事を済ませている自分には、この記事、『貝がイクラを食べているシーン』を彷彿させる。

外来の動植物が増えすぎて日本の動植物が食い尽くされるのかと思いきや、『巻き貝による巻き返し』という現象がみられた。自然の摂理だ。学生の頃に読んだ『複雑系』の話が思い出される。

人間社会ではどうなのか。日本は戦後、頭のてっぺんからつま先まで(そして頭の中身まで)外来種の侵入を許してきた。ある程度の交流は必要なことだろうが、なんでもかんでもグローバルスタンダードなどと言う輩には自己愛はあっても、郷土愛は微塵もない。

タニシのような日本人が、どれくらい残っているのだろうか。

 

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Posted by 奥田健次 環境 |

2006.01.09

楽屋を一つ下さいな

某所にて。

「楽屋は個室で(^^)」
とお願いしていた。

 

 

 
 

 
 
 
すると。。。















 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 
 
 
 

本当に用意して下さったのだ。

すいません、恐縮っす。

gakuya
この写真は楽屋前にて撮影。この頃、ミーがフランスから空輸したアランミクリの眼鏡をかけているざます。

 
 
 
 
 
 

個室の楽屋。ミーは満足ざます(笑)。

 

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Posted by 奥田健次 脱力系 |

2006.01.08

新選組!!(追記3件付き)

海外出張中に録画を頼んでおいた。

昨日、ビデオを見た。『新選組!! 土方歳三 最期の一日』

五稜郭。切なくなることが分かっていながら見たのだが、やはり切なくなった。

負け戦と分かっていながらの土方の出兵要請を、榎本武揚に「死に場所を探しているだけだ」と見抜かれてしまい、思いを改めて本気で勝ちに行こうとする。土方歳三らしい。

自分も「いかに死ぬか」しか考えていない。死に場所を求めているといわれればそうだ。もちろん、自分が自殺することはありえない。標準化された心理テストを受けても、自殺する確率0%である。

それでも、「死にざま」を考えない日はないのだ。

自分こそ幕末に生まれていたら良かったのに、と思うのだ。こんな時代は関西弁でいうところの『スカ』である。空虚なのだ。

大河ドラマ『新選組!』。そして今回の正月時代劇。劇作家・三谷幸喜の味が心地よくブレンドされていた。舞台上で繰り広げられるお芝居をテレビ上でコミカルに描いているあたり、さすがとしかいいようがない。

個人的には、主演の山本耕史はもちろん、市村鉄之助役の池松壮亮が初々しくて良かった。新選組モノは、やはり男同士の絆だからね。

続編としては『西郷隆盛の最期』を切望する。もちろん『作・三谷幸喜』である。続編を期待させる作家だ。『ラスト サムライ』ごときに負けない作品ができるのは間違いない。

[追記(2006.1.9)]※正月時代劇『新選組!!』ファンは以下はお読み頂かなくても結構です。

その後、岡村という聞いたこともない御仁から二度に渡ってTBをいただいた。一度目は『皇族たちの真実』に対してのもの、二度目はこの記事に対して。

『皇族たちの真実』については、反論と思って読んではみたものの、論理的には反論と呼べるには程遠く、氏の持論を展開されているようなものだった。ざっと氏の皇室問題に対する過去記事にも目を通してみたところ、おおむね自分も納得できるものであった。自分との違いは「旧皇族に対する個人的な感情の有無」と「側室制度」くらいか。

側室制度についても、やりようによっては自分は賛同できる。まずは「開かれた皇室」がよろしくない。こんなものは戦後メディアが勝手に作り上げた考え方だ。ワイドショーで皇室の情報を流すとき、『ビバルディの四季』をBGMに使って気品を漂わせてはいるものの、結局は『のぞき見』なのである。「開かれた皇室」など、やめるべきなのだ。今上天皇に拝謁することなど、なかなか叶わないようにする。簾の奥で、どのような御顔をされておられるのかも見えにくいようにする。その中での側室制度は大いにあってよい。そのために京都にお隠れになられることもあってよい。

そもそも、連綿と続いている皇室について、戦後の実験思想ともいえる民主主義ごときで議論すること自体、馬鹿げているのだ。この辺り、氏との考え方にあまり差はないと思うのだが。

ただ、氏とまともな議論になりそうにないのは、どうも感情のほうが強く表れているためのようだ。二つ目のTBなど、氏のタイトル通り「いちゃもん」に過ぎない。自分が「こんな時代はスカだ」と書いたら、氏はこの言い回しのみに反応し、「だったら死ねばよい」という。

面識もない御仁に二度もTBを送りつけられた挙げ句、「死ねばよい」なのだそうだ。ある意味、御仁の社会的立場も顧みず、こんなアホーなことが書ける勇気には拍手を送ってもよい。自分もブログではアホアホなことを書いているからだ。さすがに自分は特定個人に対して「死ねばよい」とまではとても言えないが。

それにしても、こうやって見知らぬ人に読んでいただけるブログの威力というものは大きなものだ。

まあ、今回の岡村氏によるストーカーまがいのTBもプロレス的には歓迎してもよい。どこぞの名も知れぬインディーの選手が土足でリングをまたいできただけの話。だから、新たにエントリーを立てずに[追記]で応じる程度にしておこう。

[追記(2006.1.10)]

上記の追記(1月9日)を書いた後、岡村氏のブログにTBをお返しさせていただいた。それが昼前のこと。仕事を終えてから、高知龍馬空港のワンコインPCでブログチェックをして気が付いたのだが、自分が送ったTBは2つとも削除されていた。

唖然。呆然。笑ってしまった。なんだよ。せっかく氏とは実名同士で胸襟を開いて議論できそうだと楽しみにしていたのに。サヨク的な人って自分に都合の悪いTBは削除するという噂を聞いたことがあるが、本当にそうだな。

名指しで場外乱闘をしかけてきておきながら、こちらからほんの少しご挨拶しただけで何事もなかったかのようにするとはな。自分は売られた喧嘩は必ず買うことにしているのだが、肩すかしもいいところだ。

「おい、なんだオメエ、俺と戦えねえのか!?」と仕掛けてきたマイナー団体の選手が、1発軽く投げられたくらいで消えていったんじゃ話にならんよ。素直に「ごめんね」と言えばいいのだが、社会的に立場のある人のほとんどにおいてこうした部分の弱さがみられる。

面白いのは、トラックバックが削除されたその日の夜に、氏が「死に場所」という記事を書いている。この御仁、まだそんな言葉の上っ面の修正ごときで自分の記事の正当化を図ろうとしているのだ。そして相変わらず「どうしても死にたくなったら,自らの意思で呼吸を止めて死んで見せましょうね」だと言う。呆れた。

自分のブログの読者なら、自分が「どうしても死にたくなった」など微塵も考えていないことくらい理解している。読者の一人(主婦の方)から、「...岡本(原文ママ)さんの書いていることは支離滅裂ですね、死ねと言ったり不遜だと言ったり...」というメールをいただいたが、まったくその通りだ。

「どうだ!」とばかりに威勢よく道場破りに来ておいて、いざ試合となったら逃げて帰る。お家へ帰ったら、今度は独りで「馬鹿げてるよ」とかブツブツ呟くだけ。ただし、御仁が実名でブログをやっていることについては、自分は一定の評価はしているのだよ。

とにかく、社会的に立場のある人間も、所詮はこんな程度なのだ。だから自分はそんな立場なんぞ否定してきたし、自分自身のものさえ否定できる。これが自分の強さだ。

[追記(2006.1.12)]

今度は上記の1月9日の追記を書いたところ、岡村氏は1月10日に『なんだか良く解りませんが』というエントリーを立てている。そこでは、この自分の記事にリンクは貼ってあるものの、こちらの名前も出さず、TBも送ってこない。つまり独り言の続き。

読んでみれば「コメントがどうとか」言い訳ばかりで、ワケが分からない。こっちは実名ブログ。コメントを送るにしても実名で送るに決まっている。自分は「昼間のコメント」など見てもいない。

それにしても、勘違いしてTBを消すか? こっちは氏が送ってきた2つのTBの元記事に、丁寧にそれぞれ送り返しているのだから、万が一、片方のTBを削除したとしても、もう1つのTBで気が付くだろう。というか、いずれにしてもこちらのTBを削除したのは事実ではないか。

それから、1月11日午前3時にこの記事へのコメントが2つ付いていた。こうした匿名の非道なコメントは残し(36時間以上待ったが削除されない)、こちらから直球でお返しした実名のTBは削除(しかもたった数時間以内で)なんだから、本当に呆れるばかりである。

記事本文も滅茶苦茶だ。「新撰組を例に挙げられた以上,賊軍派としては仁義を尽くさざるを得ないでしょうね」と言う。こっちは氏とのやりとりの中で新選組を例に挙げたのではなく、自分のブログの記事(それもテレビドラマの一感想)として書いただけのことだ。それに、「死ねばいい」と「いちゃもん」をつけてきたのは氏のほうではないか。それなのに、「仁義を尽くさざるを得ない」と言う。誰に? 何のために? 新選組のことを論じているブログなど、他にも五万とあるではないか。

最後に「物の道理が解る人物と錯覚した自分が愚かであった」とある。氏のいう「物の道理」とは何か? 氏から仕掛けてきたことに対し、こちらが応じただけではないか。そんな人物に「物の道理」など言われると片腹痛い。ブロガーとしてのマナーを身に付けてほしい。他にもツッコミどころ満載のブログだ。

「昼間のコメントと別人であれば,争いは好みません」とある。繰り返すが、昼間のコメントなど自分は知らない。自分もこれ以上、氏のことについては触れたくもない。時間の無駄だからだ。

だが、また氏のほうから独り言にせよ今回のことについて触れてくるならば、全面的に受けて立つ。これらの追記を、新たに記事として見出しを付けて事の仔細を幅広く知ってもらおうではないか。今回の件、感情ではなく論理で勝負して負けることはない。当ブログは1日1,500〜2,000アクセスに到達するまでになった。氏のブログへのアクセス数増加には貢献できるだろう。

 

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関連記事:年始は古畑と新選組!!

Posted by 奥田健次 経済・政治・国際, 脱力系 |

2006.01.07

役に立つのか、教職大学院!?

不登校問題に重点を置く教職大学院ができるそうだ。

熊本大学が来春(2007年4月)、不登校問題に対応できる教員を養成する「教職大学院」開校のための準備をしているそうだ。

以下、引用。

「教職大学院」 熊本大、不登校対応で来春開校へ準備
http://kumanichi.com/news/local/index.cfm?id=20060105200005&cid=main
2006年1月5日 (熊本日日新聞:くまにちコム)

 熊本大(崎元達郎学長)が不登校の子どもたちに対応できる教員を主に養成する「教職大学院」を、二〇〇七(平成十九)年四月に開校する方向で準備を進めていることが四日分かった。同大によると、社会問題化している不登校をテーマにした教職大学院の設立は「全国的にもまれ」で、今後の展開が注目される。
 教職大学院は教員の資質向上などを目的に、中央教育審議会が〇七年四月に開校できるよう検討しており、全国の大学で準備が進められている。学生のほか現職教員も対象に、より高度な専門的職業能力を養成する教育を行う。修了者には専門職学位の「教職修士」が与えられる。
 熊大教育学部によると、教職大学院の定員は三十人程度とし、そのうち半数超は現職教員枠に充てる。指導する教員は十一~十三人で、うち四割程度は校長経験者など実務経験者を起用したい考え。修業期間は原則二年だが、現職教員は一年とする予定だ。
 教育内容は、不登校や学級崩壊など学校現場での課題への対処能力を養成するため、生徒指導や生活指導、学級運営についてのカリキュラムに重点を置く。特に不登校への対応能力養成カリキュラムは、文部科学省の〇五年度「大学・大学院における教員養成推進プログラム」に選ばれた同大の「不登校の改善・解決に資する教育力の養成プロジェクト」を基にする方針。
 同プロジェクトは、同大教育学部が〇二年度から熊本市教委と連携して実施している「ユア・フレンド事業」がベース。同事業では、学生ボランティアが不登校児童・生徒の家庭を訪問するなどして成果を挙げている。教職大学院のカリキュラムでは、同事業のノウハウに臨床心理学などの医学的アプローチを加えた上で、小中学校や不登校支援施設、保護者などと連携しながら、理論と実践の両面を系統立てて学んでいく。
 石原昌一・同大教育学部長は「地域の学校のリーダーとして、不登校など現代的な教育課題を解決できる教員を養成したい。県教委や市町村教委、学校現場の協力が不可欠となるので、これから具体的な協議を進めていく」と話している。(野田一春)

以上、引用おわり。

教職大学院の定員が30人程度で、うち半分は現職教員の内地留学。内地留学とは、現職教員(公務員)が給料をもらいながら大学院に通うシステムのこと。ちなみに、これは夜間ではない。内地留学の教員は、その期間、勤務校への出勤は無いのだ。つまり、一般学生とまったく同じ条件で院生生活ができ、なおかつ給料がもらえるのだ(しつこいけど)。内地留学に対する批判と財政面の問題から「修業期間を1年」と言っているのだろう。1年で修士号を出すのだろうか?

話を戻そう。この教職大学院の指導教員は10〜13名程度という。このうち、4割程度は校長などの実務経験者を起用したいという。

本当にこんな陣容で大丈夫なのだろうか。管理職としての実務経験が不登校を治せるのか? 教育委員会と関係の良かった校長の天下り先を確保するだけの話になりはしないか。

大切なことは、いかに目の前の問題を解決するか、その解決方法の有効性を科学的に検証し、うまくいかない場合は自己批判的に修正を加えていく問題解決型の思考プロセスだ。こうしたことを校長経験者なら出来るというのか? 「わしの経験では...」ということにならなければ良いのだが。

上記の記事は1面だが、24面の解説記事によると、熊本大学と熊本市教委でやっていたという「ユア・フレンド」事業なるもので、ここで不登校児の86名中18名が学校復帰した「大きな成果」を挙げたのだそうだ。我が目を疑ったが、確かに新聞には「大きな成果を挙げている」とある。

学校復帰が20%程度で大きな成果とは。8割も治せていないのに。新聞社ももう少し頭を冷やして、しっかり勉強してほしい。こんな小さな成果、いや失敗をもとに教員養成をやられるのは不安だらけだ。もちろん、多くの臨床心理士指定校の体たらくぶりを見ていると、役に立たぬ臨床心理士を大量生産するより、現職教員の力量を高めるほうが生産的だとは思うのだが。

アイディアは評価するに値するのだが、実績の無さと校長経験者を教授に4割も採用しようという手法に、実務者と呼ばれる現場を知らぬ人々お得意の無策ぶりが現れている。校長経験者なんぞ、1割未満で十分だ。

自分の知っている元・校長は「大学なんぞに呼ばれても行かない」と豪語し、天下りも拒否して、定年後に私塾を作って不登校の子どもらをバンバン治している。このように地域で実績を上げている校長経験者(または地元の子どもらの相談相手)にこそ、三顧の礼を尽くして任官を依頼するべきだ。だがこんな校長は本当に1割未満なのだ。

不登校を治してしまう校長は、往々にして教育委員会に怒鳴り込みに行くようなことをしている(子どものために、せざるを得ない)。教育委員会に対して「イエスマン」な校長ばかりが、天下りの甘い汁をすすっているのだ。

「イエスマン」に不登校を治せるか!!

 

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関連記事:発達障害者支援法の通知文書
関連記事:日本の矯正教育について
関連記事:フリースクールで不登校をごまかすな
関連記事:市教委の単独プレー(先送り)
関連記事:どうしようもない校長
関連記事:文学的表現で不登校をごまかすな
     など。

Posted by 奥田健次 教育 |

2006.01.06

神戸で、愛媛で。

この冬の講演を。

最近、ほとんどの講演は断っているのだが、どうしても断れない場合もある。

まずは神戸。主催は県立障害児教育センター。

受講対象は「盲・聾・養護学校教員、小・中学校の障害児教育担当教員(通級による指導担当者を含む)」となっているので、一般の方は参加することができない。

会場が、兵庫県民小劇場ということなので、雰囲気的には講演というよりカンツォーネの一つくらい歌いたくなるような場所だ。

もう一つは愛媛県松山市。こちらは一般の方も参加できる(要・予約)。

日 時  2006年2月4日(土) 13:00~16:00
場 所  松山大学 820番教室
演 題  特別支援教育―危機感のある予防的アプローチについて―

詳しくは、主催のダンボクラブのホームページをご覧下さい。後援に、福祉協議会、愛媛新聞社、NHK松山放送局、南海放送、テレビ愛媛、あいテレビ、愛媛朝日テレビ、FM愛媛。

かなり大きな講演会になりそうだ。特別支援教育に興味・関心のある方は、どうぞご参加下さい。お問い合わせは、主催者のほうにお願いいたします。

 

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Posted by 奥田健次 お知らせ, 特別支援教育 |

子どもに携帯を持たせないマドンナは賢母

マドンナは賢母かもしれない。

正直言って、自分はマドンナというアーティストのことはほとんど知らない。マドンナというと夏目漱石の『坊ちゃん』を思い出すほどだ。

まずはこちらの記事から。

マドンナ、子供たちにはケータイ禁止 (BARKS)
http://music.yahoo.co.jp/rock/music_news/barks/20060105/lauent766.html
2006年1月5日(木) (Yahoo!ミュージック)

 マドンナは、子供たちが携帯電話を使用することを禁じているそうだ。「うちの子たちには必要ない」とケータイを持たせることを拒否しているという。
 マドンナは、子供にケータイを買い与えるなんてあり得ないとRadio 1のインタヴューで話している。「うち子供たちがケータイを持つなんて、絶対にないわよ。そんなこと、させません」
 しつけに厳しいマドンナだが、厳しいのは子供たちに対してだけではないようだ。ご主人ガイ・リッチーに対しても「バカなことしたら、追い出す」と話している。「いつも、ヘンな“かんしゃく”を起こしたら、家から追い出すって脅してるのよ。男らしさを見せつけようとしてるけど、そんなことわたしには関係ないわ」
 しかしマドンナは、彼のような人と出会えてラッキーだったとも続けている。「彼がわたしのそばにいる、それは素晴らしいことだわ。彼がいるおかげで、わたしは地に足が着いた生活をしていられるんだから」
 間もなく結婚5周年を迎えるカップル。結婚記念日は子供を預け2人きりで、式を挙げたスコットランドのお城で過ごすという。
Ako Suzuki, London

それから、こちらの古い記事も。別のエピソードが入っている。

役に立つかも? マドンナ流“子育て”(BARKS)
http://music.yahoo.co.jp/rock/music_news/barks/20051019/lauent005.html
2005年10月19日(水) (Yahoo!ミュージック)

 マドンナが、自身の子供に対する子育て法について『Harpers』誌のインタビューで話をした。長女ルルデス(9歳)と長男ロッコ(4歳)の2人の子供がいるマドンナ。なかなか厳格な母親のようだ。
 まず、子供たちはテレビを見ることが禁じられているという。「テレビは毒よ。わたしはそんなもの見ないで育ったけど、べつに損したと思ったことはないわ。うちの子供たちも見ない。家にテレビはあるけど、映画しか流してない。雑誌や新聞も置いてないわ」そして、ヘルシー志向の彼女は当然のこと食生活にもこだわっている。「ホールグレイン(全粒)よ。それにバイオ食品は控えてる。乳製品もダメ」
 また服が床に置きっ放しにされていた場合、それはゴミ袋に入れられるという。「うちの娘は片付けができないの。もし服が床に落ちてたら、それはゴミ袋に入れるわ。片付けない限り、返さない。それにもし、着る服のことでかんしゃくを起こしたら、それを学ぶまで毎日同じ格好をさせるの」
 マドンナは、このように子供に厳しくするのは自分の役目だと話している。「夫は甘やかしてるわよ。お父さんが帰ると、子供たちはチョコレートが貰える。わたしはもっと現実的ね。子供の歯のことを心配するの。これは夫の領域じゃないわ。彼は面白い人だから」
Ako Suzuki, London

後半の記事は、何か日本語訳がこなれていない感じもするが、言いたいことはだいたい分かる。しっかりした親であることは確かなようだ。

「しっかりした」とは、どういう意味か。それは、自分が常々言っていることだが『ビジョン』が明確であるということ。つまり、「どんな子どもにしたいか」が明確なのだ。

子どもに携帯電話を持たせない。そういう具体的なことだけでも「我が家独自のルール」を作れる親は賢い親である。この「賢さ」は学歴とは無関係なのだ。

今日、これが出来ない親が多すぎるのだ。

 

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関連記事:携帯電話が、子どもの安全を守るか!?
関連記事:携帯電話を規制する

Posted by 奥田健次 教育 |

2006.01.05

帰国、そして日常へ。

帰国した。飛行機の中では一睡もしない。

シートが良かろうが悪かろうが関係なく。

日本との気温差がほぼ30度。これで体を壊さない方がおかしい。

壊しません。自分、おかしいから。

新年早々、子ども達の元気な姿に触れることができ、励まされた。正月だったので、セラピーだけでなく食事を一緒にしたり買い物に行ったりした。子ども達の癖がよく見えてくるので、たまにはこういうのも面白い。

ある子は、オモチャ屋の帰りに「ぎゃーーーー!! トーマスーーーー!!」と癇癪を起こしてみるものの、お母さんが負けじと連れて歩くと、意外に5分ほどで鎮火したり。別の子は、お母さんがトイレに消えると「しっこ、しっこ」と言って女子トイレに入ろうとしたり。慌てて連れ戻して、男子トイレでするようプチトイレットトレーニングをしてしまった。

仕事後、帰りの夜行便の時間までショッピングにお付き合い頂いたり、食事もご馳走して頂いたり感謝の気持ちで一杯である。大好きなタイ古式マッサージにも連れて行っていただいた。マッサージのおばさんに「自分の18歳の娘と結婚してくれ」と真面目に懇願されてしまった。もう笑うしかなかった。

こちら12月にオープンしたばかりという超大型デパート『サイアム・パラゴン(Siam PARAGON)』。通りかかった文房具屋のペンの陳列量といったらもう。この写真の表も裏も、その先のブロックまで色ペンだらけ。これ全部、色ペンだ ぜ。不気味。MOTTAINAI。

200601041451200601041452

 
 




200601031926こちらはお気に入りのタイ料理店『バーン・カニタ(Baan Khanitha)』。何が好きって、葉っぱで巻いて食べる前菜。『ミアン・カム』というそうだ。独特の葉っぱに、干しエビやらイカの薫製(?)、タマネギとライム、赤唐辛子に青唐辛子、ナッツ、甘辛い味噌のようなもの等、薬味類を乗せて、巻いて食べる。タイ料理らしく、甘みと辛みと酸味と香りを楽しめるのだ。材料さえ揃えれば、日本でも簡単に出来そうだ。

いつもの如く本当に短い時間だったが、自分には十分過ぎる正月だったと思う。

さて、栄養ドリンク飲んで日本の仕事に切り替えねば。

 

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Posted by 奥田健次 脱力系 |

2006.01.04

禁煙したければ治療を受けよう

やめたければ、やめられる。

ただし、きちんとした治療的介入を受ける必要があるのだ。

「強い決意」や「自制心」など、自分に頼っていたのでは治らない。

「治る」とか「治療」という言葉を使っているのは、喫煙は病気だからである。だが、これは「治る病気」なのだ。

成人喫煙率の目標値設定、議論再び? 厚労省チーム試算
http://www.asahi.com/life/update/0104/002.html
2006年01月04日05時58分(asahi.com)

 成人の喫煙率に国として目標値を定めるべきかどうか——。こんな議論が厚生労働省内で交わされている。6年前、たばこ業界や自民党内の反対で実現しなかったが、厚労省が健康政策見直しのための作業チームを立ち上げて検討を進めていく中で議論が再燃。国際的にたばこを規制する機運が高まるなか、目標値設定案が再浮上しそうだ。
 国は00年、国民の健康づくり施策として、10年後の目標値(70項目)を定めた「健康日本21」を作成。この際、「成人喫煙率の半減」を盛り込むことが検討されたが、「国が統制すべきことではない」「たばこは大人の嗜好(しこう)品」などの反対意見が出て見送られ、未成年者の喫煙率を10年までにゼロにする目標が設けられた。
 05年度は健康日本21を評価することになっており、厚労省は研究者らでつくる作業チームを立ち上げ、見直しに着手。糖尿病などの生活習慣病対策に力を入れ、中長期的に医療費を抑制する狙いもあり、成人喫煙率を加えるかどうか、どれぐらいの目標値を設定することが可能かの試算も始めている。
 03年の国民健康・栄養調査(対象は4160世帯、約1万人)をもとに、喫煙者のうち禁煙を希望している人たちをすべて禁煙させることができれば、喫煙率は男性で03年の46.8%から10年には29.6%、女性では11.3%から9.2%に下がるとみている。
 作業チームでは、今年3月までに見直し案をまとめて厚労省の部会に報告。部会が目標値の設定を決めれば、具体的な検討に入ることになる。
 たばこ規制をめぐっては昨年2月、世界保健機関(WHO)が主導した枠組み条約が発効し、日本も批准。政府は省庁連絡会議を立ち上げ取り組みを強化し始めた。厚労省の部会は昨年8月、中間とりまとめで「数値目標の設定の検討も含め、国民全体の喫煙率の低下を目指すべきだ」としている。

厚生労働省は、喫煙率を下げたいと考えている。だが、喫煙率が下がると困る人や団体がある。言うまでもなく、タバコを売る団体とそれに利権つながりのある人や団体だ。

これから、さらなる宣伝工作が活発になるだろう。「タバコは安全である」と。また、特に女性や子どもに対して「タバコはクリーン」「喫煙は格好いい」というイメージを今まで以上、巧妙に植え付けてくることだろう。科学的な論文(本当に科学的かは怪しいが)を持ち出してみたり、「禁煙すると太るよ」との嘘をまことしやかな風評を流したり。いつものパターンで禁煙を妨害してくるはずだ。

こうしたプロパガンダに騙されず、女・子どもを煙草から守ることができるだろうか。

上の記事には「喫煙者のうち禁煙を希望している人たちをすべて禁煙させることができれば」とある。ここは重要な部分だ。

「禁煙を希望している人たち」を治療対象にするだけでも、まずは十分なのだ。そして、こうした希望を叶えていくためには、医師もカウンセラーも禁煙に有効な行動療法の技法をそれぞれ取り入れていけば良い。もし治せない専門家がいたなら、そいつは「下手くそ」なのだ。

ちなみに、専門家として治しやすい状況にするためには、社会に対する働きかけ(煙草の規制方法)も必要となってくるだろう。

ニコチンは、人間が生きていくためには本来、まったく不要のものである。だが、一度体内に入り込むと、不要だったものが必要になってしまう。この依存状態を修正し、本来不要なものを不要とする作業を行うだけなのだ。

「意志の弱さ」の問題とするのではなく、行動(生活習慣)の問題としてとらえることがキーとなる。

 

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関連記事:喫煙は病気

Posted by 奥田健次 健康・美容, 経済・政治・国際 |

2006.01.03

幼稚園から義務教育?

国際線の飛行機の中で読売新聞に目が止まった。2日は休刊だったので、元日の朝刊だった。

1面で「幼稚園から義務教育、延長幅1〜2年 政府・与党方針」となっている。

幼稚園から義務教育、延長幅1〜2年…政府・与党方針
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20060101it02.htm
(YOMIURI ONLINE)

 政府・与党は、小中学校の9年間と定められている義務教育に幼稚園などの幼児教育を加え、期間を10〜11年間程度に延長する方針を固めた。
 幼稚園—小学校の区分による環境の変化が学力のばらつきを招いているため、幼稚園を義務教育に含め、一貫した学習体系を構築するのが狙いだ。
 幼児教育を無償にすることで、少子化対策を強化する面もある。1月に召集される通常国会に提出する予定の教育基本法改正案で義務教育の9年間規定を削除し、2009年度以降の義務教育延長の実現を目指す。
 義務教育をめぐっては、近年、小学校低学年で、集団生活になじめない児童が騒いで授業が混乱する「小1問題」が起きている。幼稚園—小学校—中学校と進学するにつれ、指導の内容、難易度などが大きく変わり、成績格差が拡大する問題も指摘されている。
 このため、政府・与党は幼稚園などの幼児教育を含めた義務教育制度の見直し論議に入っている。
 自民党は、05年9月の衆院選の政権公約(マニフェスト)に、「幼児教育の無償化」を盛り込んだ。1月にも、政調会の下に「幼児教育小委員会」を設置し、無償化の具体策として、義務教育延長を議論する。そのうえで、延長に向けた第1段階として、教育基本法4条で定められている義務教育の9年間という期間を削除する考えだ。
 与党教育基本法検討会の議論の中で、公明党もこうした考え方を大筋で了承している。
 自民党文教制度調査会幹部は、昨今の児童・生徒の学力低下を背景に、「諸外国も義務教育期間を延ばす方向だ。日本も真剣に検討すべき時期にある」と主張している。諸外国では、例えば、英国は5歳から11年間を義務教育とし、2000年から5歳未満を対象に無償の保育学校を拡充。フランスも1989年から公立幼稚園を無償にしている。
 政府・与党は、今後、幼児教育をどういう形で義務教育に取り込むのか、調整を図ることにしている。
 中央教育審議会(文部科学相の諮問機関、鳥居泰彦会長)では、05年1月にまとめた幼児教育に関する答申で、「幼小一貫教育の検討」を掲げた。政府・与党内には、このほか、〈1〉幼稚園の1〜2年保育を義務教育とする〈2〉義務教育の枠内で、「幼小一貫校」を創設し、普通の幼稚園か一貫校かを選べるようにする——などの案が浮上している。
(2006年1月1日3時1分  読売新聞)

新聞のほうには、確か2面あたりに「解説」もあって、厚生労働省管轄の保育所の扱いをどうするのか若干の指摘がみられた。ずっと以前から議論されてきた「幼保一元化」の問題である。

政府与党は「幼児教育の無償化」を謳っているようだが、本当にそうなのか? 働く女性(特に、パートに出る多くの女性)のいる家庭にとっては、保育時間の長い保育所が必要なのだ。幼児教育を義務化することで、確かにそこまでは無償となるのかもしれないが、パートに出る人には「幼児教育後の保育」を利用しなければならないことになりはしないか? そこにどれだけの費用がかかるのか? 高所得の家庭と低所得の家庭で、幼児教育後に受けるサービス格差が拡大しないだろうか?

これらのことが心配である。幼児教育を義務教育化するのであれば、保育時間を保育所ベースにする必要があるのではないだろうか。簡単にいえば、「保育所と同じ時間だけ幼児教育を受けても無償にしろ」ということが言いたいのだ。読売新聞の解説は、ここまで踏み込んではいなかった。

新聞といえば。昨日の記事(『「靖国、やめろ」と迫りつつあるアメリカ』)について『三輪のレッドアラート!』が、鋭い視点から指摘をして下さった。

--以下、一部引用。

ちなみに、この平田崇浩と言う人ですが・・・。
ちょっとGOOGLEで検索してみれば良いですよ。
ほとんど大本営に居座って外電をああだこうだと書き並べている、凄腕ではあるんでしょうけど、現地の取材をしてるとは思えない人です。

ほとんど小泉首相関係の政治部の記事はこの人が書きまくっています。

小泉首相が対米追従と言われるのを嫌うと書きながら、小泉首相のイラク派兵については、対米追従と言われるのは不本意だろうと煽って見せるところなど。
この平田氏は世論の誘導と言うか、ペンで小泉首相を操作しようと考えるタイプなのだな・・・・と言う風に私には思えてしまいます。

ちなみに、及川正也と言う人は月間「潮」2006年1月号に同様の記事を書いています。
潮出版社と言うのは、あれ系の出版社です。もろですw

ここを見ればすぐわかりますです。

2000/05/17 毎日新聞朝刊
[ニュースキー2000]森首相「神の国」発言 憲法理念に逆行

つまり、この二人はペンによる刺客な訳です・・・。
例の宗教団体に多分直属なのだろう、そう言う方々だと思った方が良いでしょうかね・・・。

--以上、引用おわり。

大手新聞社がニュートラルな立場にないこと
を端的に示す指摘である。まさにマスメディアを使って国民を煽るやり方なのである。

我々はマスメディアに対して、冷静さを保たなければならない。学問(科学)と同じように、マスメディアの論調に対しても「まずは疑え」である。大企業から多額の広告料を貰っているわけだ。当然のこと「もっと疑え」である。「すべて疑え」かな。

どこかにスポンサーを取らない新聞があったらよいのだが。

 

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Posted by 奥田健次 教育, 経済・政治・国際 |

2006.01.02

正月から海外へ

成田のラウンジから。現地に到着して落ち着いたら記事の続きを書こう。

到着した。

ここはバンコク。気温30度。

ミリタリー系ハーフコート(しかも天然ファー付き)を着ている自分が恨めしい。

正月は元日をゆっくり過ごすことができた。実家に帰って恐ろしく時間の流れがゆっくりしていることを肌で感じた。ワーカホリックな自分は、この時間の流れに少なからず恐怖を抱いてしまう。

何よりだったのは、この元旦。一度も外食なし。

自分は365日、外食をしない日が無いのである。なんと体に悪い生活をしていることか。

それはともかく。正月2日から今年は始動。今年の仕事始めはバンコクにいる子ども達と会うのだ。何年経っても仕事前の緊張感が途切れることは無い。それは唯一。自分の体調管理の問題である。

どちらかといえば、自分は脆弱なほうである。小学校や中学校の頃を知る人達はそれを認めるだろう。修学旅行とか遠足の前の日になると、楽しみにしているのに風邪をひいて休んでしまったり。旅先で急性胃炎で病院に運ばれたり。

こんな休日のない生活、外食ばかりの生活を続けていて、果たして体調管理は万全といえるのか? 万全なわけがない。だからこの緊張感でもって体調を維持しているつもりだ。10年間、体調不良で教育相談をキャンセルしたことは1度もない。教育相談の無いお盆や正月に長期休暇を取ると、気が緩んでしまうのか救急車で運ばれるほど体調を崩してしまうことが何度もあったが。そんな自分が好きだ。

おまけ。

なーんてことを考えつつ、観光客より一足先にタイ入国審査にやってくる。ガラガラに空いていて、20代の女性審査官が「こっちにどうぞ」と手招きする。パスポートと入国カードを渡す。以下、下手くそ英語同士の会話。

「イタリア人?」(笑顔で冗談をかましてくる)
「メガネはフランスで、この服はイタリアやで」
「何日、いるの?」
「2日だけ」
「タイ語、喋れる?」
「無理。コープクンカップくらい」
「ガールフレンド、いるの?」(すごい笑顔で)
テキトーな国だ。入国審査でそんなこと聞くか? と思いつつ、どんな展開になるのか興味津々、
「いないよ、ちなみにボーイフレンドもね」と言ってみた。すると、
「e-mailアドレス、教えてくれる?」(すんごい笑顔で)

おいおい。入国審査で口説かれちゃったよ。もちろん、
「日本語しか使えないからなあ」
と答えておいた。

何回も来ているけど、ホンマ、なんちゅう国やねん。確かに、あんまりピリピリした入国審査も嫌やけどね。

 

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Posted by 奥田健次 教育 |

りょうま通信vol.6

事務局です。最近の『りょうま』。

仲良しの直太郎さんが遊びに来てくれたんだよ。

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男の子同士なのに、久しぶりの再開に「ハニカミ」とは(^^;)。「ブログ♪」で「キャーー!」って、この2人の間で何かあったの!?

 
 
   
 

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「そぼろ弁当」も「絵本」も奥田先生の好きなものだね。直ちゃん、よくリサーチしてるねえ(^_^)。

 
 
 
 
 
 

20060102_3 
政治ネタだね。

 
 
 
 
 
 
 
 

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ポケモンが化粧するの?
「バックス」の後の「ト」が気になるよ「ト」が。謎かけ? 直ちゃん!! 「スター」でも「オート」でも「ダイヤモンド」でもないんだよね? 「ト」って何よ〜(^^;)。

 
 

20060102_5 
直ちゃん、『りょうま』が一緒に武術の勉強しようって。ダメなの? でも、まんざらでもなさそう。山梨でボケる直ちゃん。この後、きっと「うんうん、このみずみずしさが最高の山の幸だよね...って食えるかいっ!!」というノリツッコミが続いたかもね。可愛いコンビでした。


今度「ト」の続きを教えてね、直太郎さん。

by『奥田健次の教育改革ぶろぐろ部 事務局』

 

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Posted by 事務局 脱力系 |

2006.01.01

発達障害者支援法の通知文書

2006年元旦を迎えた。

今年、一発目の記事は特別支援教育関係である。

平成17年(2005年)4月から『発達障害者支援法』が施行された。この法律は、2005年秋に自民・公明の賛成多数にて採択された『障害者自立支援法』とは異なるので、専門外の方はご注意いただきたい。

前者の『発達障害者支援法(以下、支援法)』は、厚生労働省と文部科学省が省庁の壁を越えて作成したものであり、これに関わった国会議員も超党派から構成されていた。

今まで学校や地域社会において、発達障害児・者に対する無理解から十分な支援が受けられなかったのだが、この支援法を通して地域全体で理解と援助を深めていくことになったのだ。

さて、こうした教育関係の新法が施行されると、中央から各地へ「通知」がなされる。これは非常に重要な意味を持つものである。差出人が「文部科学事務次官」と「厚生労働事務次官」であり、宛先は「各都道府県知事、各指定都市市長、各都道府県教育委員会教育長、各指定都市教育委員会教育長、各国公私立大学長、各国公私立高等専門学校長」となっている。

ところが、それにもかかわらず特別ニーズのある子どもに対する支援が何もなされないどころか、相変わらず「我慢を強いる」自治体が山ほどみられる。

たとえば、そのご家族の居住する学区の小学校には特別支援学級が無いという理由で、学区外の小学校に越境するよう迫られることがあるのだ。教育委員会の言い分を聞いてみると、「部屋がない」「金がない」「学区外の学校はセンター校として良い支援をやっているから」などという。

場合によっては、母親が送り迎えを6年間しなければならないことになる。そんなことをさせたら母親が燃え尽きてしまうのではないか。「越境するな」というのは聞いたことがあるが、教育委員会が「越境しろ」といっていいのだろうか。越境を強いるならば、スクールバスか公用車を出せなのだ

力のある現場教師の仲間達にこの話をすると、「部屋がないとか金がないじゃなくて、やる気がないんでしょ」とバッサリ。そして「余分な部屋がないと言うのなら、校長室でやればいいんだから」と激励された。まったくだ。現場にこういう教師がいてくれると本当に力づけられる。校長も、校長室を教室にされたくなければ、部屋の一つくらいなんとかしろなのだ。

クライアントの保護者達が何度となく教育委員会と交渉しているが、ほとんどまともに取り合ってくれないようである。「もう、無理かもしれない」と弱気だ。だが、上記の「通知」の存在があるのだ。自分は絶対に、すべての保護者が冷静に交渉していけば、学区内に特別支援学級が新設されると信じて疑わない。もし、この「通知」を無視する自治体、教育委員会などがあれば、堂々と具体名を公表していけばよい。

これまでの特別支援教育の流れを無視してきた自治体や教育委員会。各地で大きな温度差ができてしまったのだが、それがこれからどんどん浮き彫りになってくるだろう。少なくとも、自分に付いてきてくれている保護者達には見抜けるはずだ。土木ゼネコン大好き自治体が多くて目を覆うばかりだが、教育や福祉の充実した自治体もあるだろう。そして、ろくでもない自治体でも保護者が諦めてしまった時点でおしまいなので、あきらめずに変えていこう。

発達に障害のある子どもたち、その保護者へのお年玉代わりに、この「通知」ファイルを差し上げたい。教育委員会との交渉に利用可能な大きな武器となるのは間違いない。教育委員会の連中には、これを読んでいない給料泥棒もたくさんいるはずだ。

就学だけでなく、医療や福祉、就労支援などの様々な面で自治体のサービスに納得いかないことがあれば、この「通知」を利用されるとよい。

 

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