イエスマンにみる『いじめ』の病態
武部某という自民党幹事長が「私は偉大なるイエスマン」と公言したようだ。
この男、完全な佞臣だ。偉大なるいじめ加担者だ。
私は偉大なイエスマン 武部氏、続投や入閣に意欲 2005/10/31 07:14
(北海道新聞)
http://www.hokkaido-np.co.jp/Php/kiji.php3?&d=20051031&j=0023&k=200510319745【網走】自民党の武部勤幹事長は三十日、網走市内で開かれた後援会の会合であいさつし「なぜ私が(閣僚)候補に挙がるかといえば、小泉純一郎首相にとって偉大なるイエスマンだから。単なるイエスマンじゃない。小泉さんが私を信頼し(他の政治家は)役人の言いなりになってちゃんとやらないが、武部は違うと思っている」と述べ、三十一日の党役員人事・内閣改造で、幹事長続投や閣僚就任に意欲をにじませた。
支持者九百人が集まった会合の出席者によると、武部氏は会終了直前に再び登壇。十八番の星影のワルツの替え歌を披露し「とことんやります国のため」と歌い上げ、「明日、もし首相が武部を呼べと言った時に『今、網走なんです』じゃ駄目ですから」と言い残して会場を後にした。
自分はこのブログにおいて、日本は『イエスマン』しか生き残れない、いびつな社会になってしまったことを繰り返し主張してきた。「いじめ社会の完成」、「斬首か、切腹か」。これらの記事を読めば、少しは良心の呵責も感じるのではないか、というのは甘い見方である。いじめ側の特徴は、自分に都合の良い仲間集め、正当化、とぼけなどである。だが、武部某は「開き直り」である。ついに、ここまで許される社会になったのか。
権力者の側にいるイエスマンは、いじめの構造でいうところの傍観者、いや積極的な加担者である。イエスマンはいじめの加担者なのである。
マスメディアは、現政権についてバッシングしない。森前総理の「日本は天皇を中心としたカミの国」と発言したことについては、意図的に曲解して非難したくせに、現政権では何をやっても許される。
与党が平然と行う『集団いじめ』を、マスメディアは問題視しない。問題視どころか、ほとんど正当化しているではないか。つまり、いじめられる側に問題があるかのような偏向報道。マスメディアは、いじめの構造における傍観者となっている。いや、これまたイエスマンと同じくいじめ加担者であり、いわばいじめっ子の世話係かもしれない。
こんな与党が、どういう教育を行っていくのか。どんな福祉社会が待っているのだろうか。
小泉首相が造り上げた『いじめ構造』は、「偉大なるイエスマン」などと開き直りが許される佞臣どもと、それを叩かないマスメディア、何も出来ずにいじめを傍観している国民によって完成の域に達している。
永田町や霞ヶ関だけでなく、地方自治体、民間会社、医療や福祉の現場、大学、学校、ありとあらゆる社会で、いじめやパワーハラスメントが行われているのだ。
いじめて終わりではない。いじめられた側は、いじめた側の想像以上の憎悪を持って生きている。そして、それは悲劇を生むことになるだろう。
Posted by 奥田健次 経済・政治・国際いじめ・ハラスメント社会 | Permalink
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