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2005.11.25

新自由主義の行く末は

今年5月に学会発表をするためにシカゴ(Chicago)に行った際、帰りにサンディエゴ(San Diego)に立ち寄った。

サンディエゴは自分の第二の故郷。とまではいかないが、青春時代を過ごした愛着のある土地の一つ。あらかた地図を見なくても運転できる街なのだ。

昨年は、サンディエゴで2番目にお世話になったホストマザーに会った。彼女はもう70歳近く。それはもう感動的な再会で、懐かしい思い 出話と近況について語り合った。

政治的なことは話していないのに、彼女のほうから「最近は留学生達がめっきり来なくなったのよ。ヨーロッパ人もアジア人も、 ここ最近、アメリカに対する評価が変わったんじゃない? ケンジはどう思う?」と聞いてきた。

自分は「攻撃を仕掛けてきたテロリストに報復するのは分かるけど、 イラク戦争は違うと思う。あれからアメリカが世界から心情的な部分では孤立している。そして、日本もそれに付き合ってるわけで、少なからずリスクがあるように思う」と率直に 答えてみた。

すると、彼女は「すべては9・11からよ。テロはいけないことよ。確かにそうだけど、アメリカ人は過敏になりすぎているのかもね。まああんなひどいテロに遭ったんだから、仕方ないんだけどね…」と寂しそうに話してくれた。

すべては9・11か。

そして今年。サンディエゴで3番目にお世話になったホストマザーを訪ねた。彼女は今や60過ぎ。12年ぶりということで、お互い感動的なものだっ た。12年前に一緒にいた彼女のボーイフレンドは病気を患って高齢者の施設に入所したという。今回そこにいたのは、新しいボーイフレンドだった。気さくな 紳士であった。子育ても終わって、連れ合いを亡くした者同士のお付き合いなのである。アメリカ的ではある。

ただ、正直言って「違和感」を感じた。彼女は12年前にはお金のことを気兼ねするような人ではなかった。彼女は、毎月のステイ費用を請求し忘れるほどの人 だった。オーバーステイ分も受け取らないので、わざわざ帰国する前に彼女の食器の下にお礼の手紙とオーバーステイ費用とプレゼントを 隠しておかねばならなかった。

それが今回の再会では、一緒に食事に出かける前に、ブックレットになった割引クーポンを探すのに30分以上、時間を費やした。また、彼女は敬虔なクリスチャンで、12年前は食事の前に皆で手を繋いで感謝の祈りを捧げていたのだが、それももうしない。

彼女らとも政治の話になったが、やはり9・11以降の話になる。彼女らの場合は拳を振り上げて「熱烈にブッシュ支持」だという。複雑で心配そうな顔もみられない。だから、自分は何も言えなかった。

こんな少し寂しい訪問であった。去年はまだあった『カフェ・クレマ』も、今年には店じまいになっていた。12年前、毎晩のように立ち寄ったカフェだったのだが。

9・11のテロはアメリカ人の心理に大きな変化をもたらしただろう。それにもまして、新自由主義が根付いた社会に様変わりしてしまったことを肌で感じた。

自分の直感ではあるが、新自由主義の社会など、誰にとっても生きにくくてたまらないはずのものだろう。富裕階級が「勝ち組」と名乗って祝杯を挙げようとも、それは金銭のみの「勝ち組」なのだ。我が子が他人を殺すようになるかもしれないし、殺される可能性だってある。余りに余ったカネで、どんどん高い城壁を築き、セコムやらALSOKやらの警備を付けて、一生懸命カネと命を守る人間って本当に「幸せ」なのだろうか?

カネ以外の価値を大切にできる人や社会を育てていかねば、歴史や伝統のタテの繋がりや地域共同体のヨコの繋がりは分断され、言論の自由が奪われ、裏切りやいじめ、粛正だらけの世の中になるだろう。拝金主義者はカネ以外のことに盲目になっているのである。盲目であることに気付いてもいない。

自分は「負け犬の遠吠え」と言われても構わない。自分の主張の正しさは、世の中の流れが証明してくれるだろう。

Posted by 奥田健次 社会 |