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2005.10.14

商人根性よりも職人魂を

自分は現在、スクールカウンセラーをやる資格(臨床心理士)を有しているのだが、やらないことにしている(ちなみに自分が資格を持っている理由の一つは、資格を利用した権威主義者の化けの皮をはがすためである)。

スクールカウンセラーは、1日4万円と、安月給の大学教員にはギャラが良すぎるため、アルバイトしている大学教員が山ほどいる。聞けば、保健室の先生(養護教諭)とお茶を飲みながら世間話をして過ごし、たまに「自分は大学教員ですよ」と言わんばかりに教員研修を行う程度。不登校の子どもは学校に来ないのでヒマなものだ。学校に来ている発達障害児が教室で暴れていても「自分は不登校の専門ですから」と何もしないカウンセラーも少なくなく、教員からは不満の声も聞こえてくる。

自分は、効率が悪くギャラも少ない特別支援教育推進体制モデル事業の巡回相談などを喜んでやっている。自家用車で地域の小・中学校を巡回して、暴れている子ども学級崩壊しているクラスを立て直しに行くほうが、「労働したな」という気分になれるので生きている感じがする。ギャラは1日回っても、5,000円くらいにしかならないか。電車やタクシーで行った日には赤字が出ることもしばしばだ。それでも、自分はこっちを選びたい。だって楽しいんだもん。

要するに、臨床家として子どもに直接、接触する機会というものは尊い時間なのだ。

もちろん、仕事に見合った賃金は、払う側の姿勢を問うためにある程度は貰うべきである。ボランティアでやれというならば、払う側の問題解決のための意欲が 低いとしか言いようがない。その問題を解決するために、雇い主はどれくらいコストをかける気持ちがあるのか。こういう問いかけなのだ。

しかしながら、およそ周囲を見渡してみると「いくら貰えるか」というアルバイト感覚の連中が多すぎる。「どの仕事ならどれくらい貰える」という商人根性ばかりが目立ち、「やり甲斐がある」とか「自分はこの仕事を究めたい」という職人魂には、滅多に出会うことがない。

商人根性に代わるものとしては、「資格を取りたい」「医者になりたい」「大学教員になりたい」などという自己実現第一人間が増えている。首尾良くその目標を実現したところで、自分は立派になったとでも勘違いしているのか、ほとんどすべての人はそれから先に技術的な進歩はみられない。

敗戦から60年の間に、世界に誇れる日本の職人が急速に姿を消していった

新自由主義が支配するこの世の中で、ほんの一握りの金持ちがさらに金を得ていく構造の中で暮らしているからこそ、商人としての打算より、職人としての研鑽を追求してみてはどうだろうか。

やり甲斐のある仕事。これを見つけた人は幸せである。

Posted by 奥田健次 教育, 特別支援教育, 社会 |