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2005.10.24

どうしようもない保護者

最近、「どうしようもない校長」という記事を書いた。

どうしようもない保護者もいる。長いウェイティングの末、ようやく初診の予約を取ることができると、子どもを連れて約束の時間に来てもらうことができるのだ。予約を入れるということは、その時間は他に待っておられる方をお断りしているということだ。

自分にとっても初めての出張先の際は、約束の場所に遅れないように1、2時間前に到着して時間潰しをしている。

それにもかかわらず、初診の保護者が約束の時間をかなり過ぎて到着するようなケースが、まれにある。到着を待っている自分は、親子が事故でもあったのではないか、連絡に間違いがあったのではないかなどと、気が気でない。早く無事に到着することを心配して待つばかり。

どんな事情であれ、遅刻だろうがキャンセルだろうが、予約した際にいただいた費用を、自分は原則的に返却していない。また、時間を延長することもしない。時間を延ばすと、 その後に時間通り待っておられる方々すべてお待ち頂くことになるからだ。それに、これから保護者には様々な処方を守って頂かなければならないのに、時間さ えも守れないようだと、うまくいかないのは目に見えている。自分は子どもの指導だけではなく、保護者の指導も請け負っているのである。

保護者が遅刻した場合、ほとんどの方は申し訳なさそうにするのだが、中には「延長しろ」「金返せ」という顔をする人もいる。さらには、「時間半分しか診てもらってないのに、全額取られた」と、あちこち吹聴して回る保護者もいる。

はっきりいって、そういう方には全額お返ししても構わない。

「金を払っているのだからサービスしてもらって当たり前」という考えなのだろう。そういう考えを持つ人は、いつまでたっても満ち足りることがないから気の毒だ。相手の立場に立つとか、他の保護者や子どもの気持ちを理解すること、支援者の理想とするところが伝わらなければ、なかなか信頼関係を築くことはできな い。

最近、学校の給食を食べた後「ごちそうさまでした」と子どもに言わせないようにしている保護者がいるという。給食費を払っているからという理 由のようだ。他にも、レストランで食事をしたときに子どもが「ごちそうさま」と言ったら、「ここでは『ごちそうさま』は言わなくていいのよ」とたしなめる 母もいるそうだ。こちらも、代金を支払っているからという理由だ。お友達の家でご馳走になったときだけ「ごちそうさま」「ごちです」「ごっつぁん」なのだろう。

バスに乗ろうとタクシーに乗ろうと「お金を払っているんだから、やってもらって当たり前」という精神なのだ。驚くべきことは、こうした母親の上(つまり祖父母)の世代 が「私らの頃はそんなことは無かったのに、孫の世代はそういうものなのかねえ」と認めてしまっていることだ。そういえば、いま50歳から60歳前後の人がレストランでや たら偉そうにしている姿を頻繁に見かけるようになった。

この人達は、他者の気持ちを読み取ることが出来ないのだろう。「給食のおばちゃんが、一生懸命作ってくれた」とか、「食中毒にならないようにお店の従業員 が衛生面に気を遣ってくれている」、「事故の起こらないように、タクシーの運転手さんが運んでくれた」など、サービスに携わる人々の心の内まで考え ていかなければ、腹立たしくって仕方がないだろう。マニュアル化が進んだレストランの従業員のサービスの質が低下しているのが事実だとしても、こういう風 に好意的に思い込むのが人付き合いの作法だろう。

自分自身だって、あまりにずさんなサービスには腹を立てることもある。だが、だからといって「やってもらって当たり前」とは考えないようにしている。「お金を払っているほうが絶対に正しい」とも考えていない。

自分はただ純粋に子どもへの発達支援を行いたい。だが、その前に立ち塞がる壁の多くは、親(祖父母も含む)であり、教師なのである。

Posted by 奥田健次 教育社会 |