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2005.09.14

文学的表現で不登校をごまかすな

不登校の子どもについて。

これまで、子どもを取り巻く大人が誤った考えをしてきたせいで、不登校の問題はかなり深刻になってしまっている。

特に、これまでの文部科学省、大学教員、教育現場の多数派、そしてマスコミが造り上げてきたイメージ──傷つきやすい子どもたち──というイメージを植え付けてきたことは、犯罪的といえるだろう。

本来、子どもは傷つきやすい存在ではなかった。だが、残念ながら大人が勝手に造り上げたイメージに甘えて、子ども達は本当に傷つきやすくなってしまった(というか甘えが強くなった)。自分は、そういう子ども達を本来の雑草のように強い子どもに戻すために休む暇なく活動している。

不登校の子どもが目の前にいるとする。すると、実践力の無い教師や心理士、精神科医や大学教員などは、すぐにこんなことを言う。

「しばらく充電するのも必要だ」

阿呆か? 充電ってなんだ?

子どものおでこに液晶画面でも付いていて、学校を休ませるとバッテリーマークが満タンになって、そしたら必ず学校に行くっていうのならまだわかる。

いつまで充 電させたらいいのか? 携帯電話の説明書には「約2時間で充電は完了します」などと書いてあるぞ。子どもには何日休ませたら充電完了なのか?

こんな役に立たないごまかし表現を使うな。そして、使わせるな。

他にも、こんな表現も多々、みられる。

「不登校の子どもは感受性が高い」

馬鹿か。だから何が言いたいんだ。不登校の子どものおでこに付いている液晶画面のアンテナは常にバリ3なのか? 不登校に一度もならない子どもは圏外なのか? 子どもを携帯電話に喩えるのはやめてほしい。文学表現や根拠のない比喩を使って実践力の無さをごまかすな。

そもそも「不登校の子どもは・・・」などと十把一絡げにするのはよくないことだ。保護者も、そして当事者(不登校経験者)も、自分の経験を一般化するのはよくない。センチメンタリズムは役に立たないのだ。

学校に行っている子どもにも感受性が高いのもいれば低いのもいる。不登校の子どもにも感受性の高いのばかりではなく、感受性が低いのもいる。専門家の仕事は、個々の子どものアセスメントを丁寧に行うことなのだ。

日本の不登校の問題がいつまでたっても改善しない。改善のためには、これまでの考え方、やり方を全面否定するしかないだろう。自分は数少ない同志と共に、これからも闘っていく。

Posted by 奥田健次 教育 |