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2005.09.04

仕事と人格

どうも気になることがある。

教育関係の人間で、仕事と人格をイコールにしてしまっている人が少なくない。あるいは、世間が教育に携わる人間に最高人格なるものを求めていることも事実としてあるのではないか。

自分も教育を仕事にする立場にある。先に断っておくが、自分は最低人格である。仕事の前にいかに遊ぶか考えてしまう遊び人だし、 徹底的なへそ曲がりだし、意外と小さな事を気にするみたいだし。これは治したくても治しようがない。というか、もう治せないし、治そうとも思わない。この社会では生活しづらいが、それでいて仕事には結構、役立っているからである。

ただ、自分の提供している教育的援助、たとえば子どもに対するセラピーや学校コンサルテーション、子育て支援や保護者への指導、そして大学での講義など、こういったものについては問題解決のための援助、目標達成のために徹底的に全精力を傾注している。

本来は、相談者だって特定の問題をかかえて相談に来ているわけだ。その特定された問題の解決こそ、本来の目的である。問題解決力の無い人間たち、指導力の無い人間たちが、「人格こそ大切だ」などと言っているにすぎない。そして、世間もそれにまんまと騙され続けている。

我が子が困難な外科手術を必要としているとしよう。その手術を任せるには無理があるが、世間で評判の人格者といわれるドクター。片や、世間での(人格につ いての)評判は悪いが、手術の腕前は最高のブラックジャック。どちらを選ぶか。それでも、人格者ドクターを選ぶ人がいるだろう。

自分のところに相談に来ている方々は、問題解決のニーズを明確にするよう鍛えられているので、人格の良し悪しなど求めなくなっている。自分がプライベートで遊 び人だろうと何だろうと、そんなことよりも何をしてくれるかを求めているからだ。だから、こちらもさらに鍛えられている。人格などを引き合いに出したごまかしがきかないからだ。

自分も仕事とプライベートは完全に切り離している。だから、このブログでどんな馬鹿なことを書いても、仕事には影響しないと思っている。

ただ、やはり教育関係者や世間がついてこれなくなるのも十分、想像できる。それはそれで今は仕方がない。「それは、それ」「これは、これ」という切り替え思考の出来ない人が、老若男女、増えているような気がする。

それでも、仕事と人格はイコールにしないほうがいい。たとえば、仕事の実践上のことで否定的な意見を言われたときに、仕事と人格をイコールにしている人達 は、自分の人格を否定されたと感じてしまって、感情的になるか、恨みを持ってしまいやすい。相互に発展するための議論にならない。

「人格、人格」という人。きっとその方の人格は最高人格なのでしょうね。

Posted by 奥田健次 教育 |