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2005.09.30

転んでもタダで起きない

自分のクライアントである保護者の話。

息子が医師に自閉症と診断されてから悩める母の一人となって数年後、口コミで自分のことを聞いて相談に来るという、よくあるパターンでの出会いであった。(専門でない読者への注釈:自閉症は親のせいで患う病気ではなく、先天的な脳の器質的障害に起因する発達障害である)

ただ、海外にお住まいの方なので、数か月に1回しか直接セラピーができない。こういう支援スタイルなので、そのご家庭でもできる程度のホームワークを提供している。それでも、この男の子(5歳)は順調に伸びてきている。

子どもが変わると保護者も変わる。保護者も子どもの変化を実感できるようになり、どんどん強くなっていくのである。

前回のセラピー中に出た話だが、子どもに何か習い事をさせてみたいとのこと。セラピーばかり増やすよりも、運動系や芸術系の習い事をすることは理想的なことだ。

なぜなら、セラピーがうまくいっていない場合、習い事をしてみようという余裕もないだろうから、こういう傾向はセラピーが順調であることの証左でもある。また、子どもの将来のことを考えても、余暇活動を身に付けていくことは大変重要なことである。

さて、その習い事。「何を始めるんですか?」と聞いたところ、母親は「バレーです」と言う。「こんな小さな男の子がバレー?」という顔をしていると「バレエ」だそうだ。クラシックバレエを始めようとしたそうである。

クラシックバレエを自閉症の子どもに習わせようという保護者に出会ったのも初めてかもしれないが「なかなか、面白そうですね」とコメントした。

ところが、母親が言うには「バレエ教室にお願いに行ったんですが、断られました」という。もちろん、母親は息子が自閉症であることを正直に伝えた上でのことである。

ここまでの話ならば、しばしば出会う残念な話である。保護者によっては、「差別だ!!」と憤ってみたり、失望してやる気をなくしたりする人もいるかもしれない。

ところが、この母親はさすがという動きをしてくれた。転んでもタダでは起きない奥田式というか、その極意を見事に実践してくれたのだ。

「で、どうしたんですか?」と尋ねると、

「バレエ教室はやめてヒップホップ教室に行きます」

とのこと。

あまりに見事な切り替えっぷりに、さすがの自分も一瞬目が点。

でも、これは本当にすばらしいアイデアだ。とりあえず形から入ることもできる。ヒップホップらしい服装や身なりをさせてみよう。こんな風に考えるとワクワクしてくる。

バレエのことなんざ気にするななのだ。
奥田先生が白鳥のレオタードを着てやるよって(笑)。

音痴でも構わない。姿勢が悪くても文句を言われそうにない。気になる独り言も、歌詞にしてしまえば良いのだ。棒読み大歓迎。

ちょっと即興で作ってみた。

おれはYO おれはYO おれは電車が好きなんだYO
これはYO これはYO これはクハ135の4
ぶらりGO ぶらりGO ぶらり途中下車の旅でGO


みたいにね。

独り言をやめさせたがる保護者は山ほどいる。
やめさせる発想から活かす発想へ。こういう素晴らしいアイデアに出会うたびに、この仕事の面白さが身に染みる。

Posted by 奥田健次 特別支援教育 |

2005.09.29

自衛隊の危機状態

今年の春頃のニュースだが、防衛大学校を卒業したが民間企業への就職などによる任官拒否は22人。自衛隊に進んだ任官者は303人で過去最小だった。また、中退者も前年の過去最多113人を上回り、最多記録を更新している(132人)。

さて、自分が尊敬する人物の一人で、ある自衛隊幹部から聞いた話だ。

その話によると、イラク派遣から帰国した自衛隊員の自殺者が増加しているそうだ。

上層部は幹部たちに「問題は何なのだ? 早くなんとかしろ」などとまくしたてているという。

自分に言わせれば「何を言っているんだ、今頃」である。

米兵も同じように、イラク戦争帰還後の自殺率が高まっている。アルコール依存、薬物依存者の急増も深刻な問題だ。これは、ベトナム戦争後の帰還兵と同じ状況である。

自衛 隊についても、ここ最近、大麻取締法違反の容疑で逮捕者が続出している。ストレスの高い仕事であるのは確かだろう。ストレスへの対処法(コーピング)につ いては、また別の機会に別の問題として書くことにする。

イラク派遣後の自衛隊員の自殺者増加の問題に戻ろう。単純にストレスが高いと説明するのは誰でもできる。

しかし、自分はそれ以外の問題として、自衛隊員のアイデンティティーやエフィカシーを、われわれ国民は直視せずにきたことを指摘しておく。難しい横文字を使ってしまったが、要するに、

俺たち何のためにここにいるのだろう?

という空虚さを感じさせる状況になってしまっているのだ。

もしかして俺たちは政治の道具にされているんじゃないだろうか?

こういう気持ちにさせてしまっているならば、自分は申し訳ない心の疼きを感じて仕方がない。

まだ、米兵の場合は自国の本土(ハワイを除く)が初めて攻撃を受けたという事実があり、初期的にはアメリカ国民の後押しもあったから、士気も高く堂々と戦地に赴いたことであろう。

だが、自衛隊員には「飼い主ブッシュのスローガンに追随したポチ小泉の命令」でしかない。日本国民の後押しもない。日本国民は「アメリカに付き合っておいたほうがいいから」という程度の1億総ポチ・アメリカ依存症の、ぬるまゆい風を漂わせているだけである。

これでは自殺者が増えても仕方ない。まったく日本国民は冷たいぜ。

もし、日本国内に1発でも隣国から出来の悪い核ミサイルが落とされて有事となったとしよう。あるいは、在外邦人が次々に捕らえられ殺りくされ戦争状態になったとしよう。

国民が目覚めて「やれ、自衛戦争だ!!」「同胞を取り戻せ!!」となった場合はどうか。こういう条件が整えば、自衛隊員は、

俺たちの(俺たちにしかできない)仕事だ。

となるだろう。まあ、ずっと眠っていた国民が突然に目を覚ますというのも恐ろしい話だが。そのヒステリックな姿は、悲しくも滑稽である。

大義のない仕事を押しつけていることが、自衛隊のさまざまな危機状態となって現れているのだ。

それにしても、相変わらずマスメディアはこうした問題をほとんど報道しない。規制されているのだろうが、議論さえしないのか?

Posted by 奥田健次 社会, 経済・政治・国際 |

2005.09.26

愛・地球博、閉幕。

9月25日、愛・地球博が閉幕した。

はっきりいって、万博史上最低の準備の遅れがあったのではないか。

開幕に間に合わないパビリオン、弁当やペットボトルの持ち込みの扱いについての方針が場当たり的、アクセスの悪さなど、来場者の多くは不満だったようだ。いや、そういう悪い部分を聞いていた人間は来場すら敬遠しただろう。自分もそのクチだ。

聞くところによると、パビリオンの待ち時間が7時間のところもあったようだ。7時間待つくらいならのんびりとグアムに遊びに行ったほうが、よっぽど自然の叡智を実感できたんじゃないか。いくらなんでも7時間待ちというのは、構造的に問題があったとしか考えられない。

本当に、人に地球にやさしかったのだろうか?

たとえば、障害者に対するホワイトカードのようなもの。これは、ディズニーワールドなどが提供している特別な配慮で、障害児・者とその同行者が列に並ばずに入場できるものである。身体障害者に限らず、自閉症児にも適用されるのが普通である。

愛・地球博でも、こうした配慮は当然あったようだ。しかし、障害者手帳で言うところの重度判定の障害児・者のみ対象だったようだ。とすると、軽・中度判定の自閉症児は長蛇の列に並ばなければならなかったということになる。

軽・中度の子どもにこそじっとしているのが苦手な子たちが多いのだと思うのだが。発達障害児の実態が分かっていないと、こういうことになるのだろう。

それから、大切なことは愛・地球博は速やかに詳細なデータを示すことだ。国際環境NGO FoE Japanも指摘しているように、ゴミの総量やリサイクル率、消費電力や温室効果ガス排出量、そして解体・撤収にかかる作業における費用やリサイクル状況などを情報公開してほしい。

データに基づく評価・反省をするべきだ。

最初から最後まで、大切なことは伝えずスローガンを叫ぶだけで終わってしまっていいのか? スローガンだけを叫ぶ連中をみていると、汚い物を隠しているんだなと確信を持つに至った今日この頃。

このままでは企業にやさしい博覧会と言われても仕方がないだろう。

Posted by 奥田健次 特別支援教育, 社会 |

2005.09.22

いじめ社会の完成

先の衆院選で自民党が圧勝。この圧勝については、単に小選挙区制のマジックであったことなどは、さまざまなメディアで論じられている。

圧勝の結果、衆議院では3分の2を与党議員が占めてしまった。マスコミなどのメディアは、憲法改正論議のほうに議論を集中させているが、自分はもう1つの問題について指摘しておきたい。この3分の2にはもう1つの大きな意味がある。

日本国憲法第58条の2

両議院は、各々その会議その他の手続及び内部の規律に関する規則を定め、又、院内の秩序をみだした議員を懲罰することができる。但し、議員を除名するには、出席議員の3分の2以上の多数による議決を必要とする。

つまり議員の除名が可能な国会になってしまったわけだ。これによって、私憤から国会で水を巻いたり暴れたりした議員は懲罰を受けることはもとより、義憤から秩序を乱した議員でさえ除名可能となる。除名である。退場とは違うのだ。

先の衆院選挙でも、マスコミを通して大人のいじめが平然と美化されつつ垂れ流されていた。これからしばらくは、法に基づいて国会内で除名という懲罰が可能となった。この法に欠陥があるといいたいのではない。

こういう状況ではイエスマンしか存在できないという有り様を指摘しておきたい。すでに今回の小泉首相と自民党執行部のやり方はイエスマン作りであった。殿様を諫める忠臣は、見事に捨てられてしまう人間関係だ。「殿、それでは庶民のためになりませぬ」と言ったらアウト。刺客を送り込まれる。

法があるんだから何が何でも守りましょう。こういうのは小学生の論理である。ところが、こうした論理が今、社会を動かしている世代の思考停止アタマを支配しているようだ。

幕末の志士たち
は、日本の将来のために当時のルールを破ってでも闘わざるをえない状況が何度もあっただろう。

他人がそうせざるをえない状況を考えることが大人の思考である。

さあ、どうするのだ。いじめ社会が完成してしまったぞ。ここまで自民党が圧勝するとは思っていなかったと言っても、もう遅いのだ。

Posted by 奥田健次 いじめ・ハラスメント, 経済・政治・国際 |

子宝思想

日本の子宝思想は平安時代から今日まで続いている。

子どもを大切に育てるという文化であるが、その文化もいろいろだったようだ。子どもは神様から授かったもの。だから大切にしなければならない。大切にしましょう。という考え方。

一方で、子どもは我が宝。自分の宝をどのように使おうと自分の勝手。という考え方もあった。

わが国の現在をみてみると、子どもをペットのように育てていたかと思うと、子どもが言うことを聞かなくなれば殴り殺してしまう。自分のものなのだから、何をしてもよいという思い込み。こんな雰囲気が蔓延しているのだ。

たとえば、アメリカでは子どもは自分の宝というよりも、子どもは社会の宝という観念が強いようである。アメリカの場合、子どもを神様から授かったと言うとき、創造主としての神という具体的意識を伴う。だが、日本の場合は八百万のカミであって、具体的なイメージは伴わない。

したがって、アメリカでは親となった以上、子どもを一人前の社会人にして社会に送り出すことに義務と責任が生じる。この義務や責任を果たせない親は親ではないのだ。アメリカの法律をみても分かるように、教育に関する法律には罰則規定がある。日本にはそれが無い。

日本では、親として不適当な人間から子どもを救い出そうとする意識が少なすぎる。社会全体で育てよう(守ろう)という意識も低い。自分の宝がひどい目にあったら許せないが、他人様の宝は他人様のもの。こういう考え方が蔓延っている。

どこか「あの家庭に生まれた子どもは可愛そうだけど、それも運命かな」という同情だけで済ませている傾向がある。北朝鮮の拉致被害者に対する政府(国民)の対応をみても明らかだ。

比較すると面白い話がある。日本では、親の言うことを聞かなくなった(あるいは大きな問題を起こした)思春期前後の子どもに対し「お前なんかウチの子で はない」と言って追い出してしまう。家の中に入れずに反省させようとする。場合によっては本当に勘当(親子の縁を切られてしまうこと)もある。思春期の子どもの中には、追い出されたらそのまま家から出て行ってしまう子どももいる。

一方、ア メリカではそういう場合「お前はとても外に出せない」と言って、自分の家で深く反省するまで軟禁してしまうそうだ。つまり、外で遊ぶ権利を一時的に剥奪するわけ だ。

もちろん、アメリカでは放っておくと人間は悪いことをしてしまうという(性悪説というよりも原罪)を十分に意識しているので、法によるコントロールが必要だったのだろう。

他方、日本について考えてみよう。日本には子宝思想があるからといって単純に「どの家も子どもを宝のように大切にしているはず」とみなし、今後も法によるコントロールを行わないならば、今日のような子育ての破綻による諸問題を解消することは不可能だと思う。

子宝思想。これは大人にとって都合の良い身勝手な言葉なのかもしれない。

Posted by 奥田健次 教育, 社会 |

全体研修より事例研を(2)

前回の記事で、講演を聞くだけの全体研修会がさほど有意義では無いと述べた。

学校の教師の実践力を高めるためには、教師の自発的な行動をいかに引き出すかが肝要である。

自分は昨年からスタイルを変更した。講演活動はできるだけお断りし、事例研究会(以下、事例研)を開催することにした。ここに至るまでには、地域の学校で危機感の強い教員や管理職、現場のことを良く理解している教育委員会の主事など、さまざまな立場の人達の理解と協働がなければ実現不可能であった。

また、大学側の教員にもある程度の負担は必要であった。自分はノーギャラで事例研の助言者を引き受けた。

事例研では、教師がA4用紙2、3枚程度に対象児童生徒のことをレポートし、時間にして1ケース30分ほどのプレゼンテーションを行う。助言者は、児童生 徒についての細かな情報を確認していく。その後、参加者はグループでケースについて話し合いを行い、グループ毎にどんなディスカッションをしたか2、3分 程度で発表を行う。最後に、助言者が発表者に対して具体的な実践レベルでの助言を行う。

こうした形式は、従来の全体研修で聞くだけの受動的な学習形態ではなく、自発的に何かを作る本当の意味での学習を促進する。聞くだけでは何を学習したのか不明のままである。まさに、グラウンドに降りて実際にキャッチボールを練習するスタイルが必要なのだ。

百聞は一見にしかずということわざがあるが、ここでは、百見は一行動にしかずと言っておいて差し支えなかろう。

たとえば、教師が子どもの不登校の実態についてプレゼンした際、助言者から家庭での生活習慣について質問されたことで「そんなことも聞かれるのか」と発見 があったとしよう。その教師は、次の発表機会までには子どもの生活習慣について保護者から聞き取りを行ってくれるし、それ以外の事例についても聞き取りを してくれる。つまり、保護者に何を聞くべきかということがキャッチボールをしているうちに、身に付いていくのである。

こうした事例研を毎月開催し、これに毎回参加した教師は、たった1年で考えられないほどの実践力を身に付けていく。おまけに自信の無かった教師が自信を取り戻していく。どうせ投資するなら、自発的に発表する機会のある事例研に投資したほうが、大きな利益となって返ってくることは間違いない。

自分にも利益があった。講演活動中心だった頃、教員や保育士が個人的にわざわざ研究室まで相談に来たケースが4年間で5件だったのが、事例研にしたとたん4か月で12件 である。たった4か月で4年間の2倍以上(昨年のシンポジウムで、このデータの一部を紹介した)。幼稚園教諭、保育士、養護教諭などが、出張としてではなく自分の時間を割いて来られるのだ。無料で対応す る自分も忙しくなってしまったが、こうした現場の変化をとても心強く思った。

結論だが、自分は学校や教育委員会に対して、教師全体のスキルアップを求めないことにしている。事例研に1度だけ参加した教師には「私はもう分かったか ら、今度はあなたが行っておいで」とか「みなさん平等に行きましょう」などと言う人もいるが、それは意味がないので否定している。キーパーソンを養成して いかなければならないのだ。

学校や教育委員会も(もちろん文科省の方向性としても)、全体研修会の予算取りに力を入れるのではなく、事例研やワークショップなどの定期的な開催に力(予算)を入れてもらいたいものである。

Posted by 奥田健次 教育, 特別支援教育 |

2005.09.18

全体研修より事例研を(1)

これまで数多くの講演活動を行ってきた。一昨年までは、とにかく地域貢献をと考えて、どんなに安いギャラだろうと小規模な講演会だろうと引き受けてきた。そして、それは大学の宣伝活動にも繋がるものだった(ただし、講演依頼など来ない大学側の連中は、宣伝活動になっていることさえ否定するのだが)。

講演の際、主催者側でアンケート調査でもやろうものなら、手前味噌ではあるが毎度好評で、その証拠に講演の依頼がさらに増えるのだった。アンケートの自由記述欄などでは「目からウロコが落ちた」というもので溢れている。

一体、他人様の目からウロコを何枚落としてきたことだろう。でも、講演活動(学校側からすれば全体研修会)では地域の学校教員の実践レベルに変化はみられなかった。

昨年、日本行動分析学会年次大会のシンポジウムで、自分は「キャッチボールをやってみたくする方法‐教師がABA学習行動を自発するための確立操作‐」というタイトルの話題提供を行った。

こんなことを想像していただきたい。たとえば、キャッチボールが上手になりたいと思っているとしよう。そのために、イチロー選手の練習を見に球場に足を運ぶ人がいるかもしれない。やはり、イチロー選手のキャッチボールは見ているだけでも美しい。だから、何度も球場に通った。

さて、これでキャッチボールは上手くなるのだろうか。

自分は、こんなことを繰り返しても時間とお金の無駄としか思えない。キャッチボールを上手くなりたいという目的に到達するための手段としては説得力が無さ過ぎる

キャッチボールを上手くなりたい。そう思うならグラウンドに降りてボールを投げてみよう。どんなに暴投したって恥ずかしいと思う必要はない。プロなら優しく 受け止めてくれるから。

そして、プロはボールを投げ返してくれるので、それを受けてみて欲しい。これも心配いらない。受けやすいように、最初はそうっと投げてくれるだろう。落としても、後逸して も恥ずかしいと思う必要はない。これを繰り返していくうちに、少しずつボールの投げ方、受け方が身に付いていく。

講演を聞くだけというのは、プロのキャッチボールを外野で見学しているだけのようなものだ。そこで、講演がどうだったか評論しても、見学者自身の実践技術は高くならない。

年に1発の打ち上げ花火のような講演、行事としてこなすだけの全体研修では、残念ながら教師の実践力向上には繋がらない。

ところが、どうしても全体研修で講演を聞くというこれまでのスタイルを見直そうとする教育関係者は少ない。きっと、止めるわけにもいかないのだろう。効果は別にして、やっているだけ安心だからではないか。

教師の自発的な研究行動を高め、実践力を高めるための全体研修に代わる方法、そしてその効果について検討する必要がある。

Posted by 奥田健次 教育, 特別支援教育 |

2005.09.15

集中講義の夏、終わる。

この夏、集中講義の嵐であった。自分の大学では3科目(60コマ)、別の大学で15コマ、計75コマギネスものかもしれない。喉がガラガラになる。

学生も頑張らなければならないが、こちらには常に倒れてはいけないという緊張感がある。この緊張感のお陰で、なんとか乗り越えることができた。

途中、台風のせいで1日延期によって予定変更を余儀なくされたのには閉口したが。

とにかく忙しくて、他にやらなければいけない仕事にほとんど手が付けられなかった。それでもなんとか、各地の教育相談は減らさずに実施している。流れで海外にも出張セラピーに出かけた。その移動距離たるや、選挙の遊説で動いていた小泉だろうと岡田だろうと負けはしまい。

しかしながら、近年とみに体力面で自信を無くしている。また忘れ物もひどくなってきた。相変わらず記憶力は良いのだが、小物忘れがひどい。携帯の充電器、パソコンの液晶プロジェクタ接続プラグ、研究室の鍵など。

無意識でポイッと置いてしまう物を忘れるようだ。

Posted by 奥田健次 学ぶこと |

2005.09.14

文学的表現で不登校をごまかすな

不登校の子どもについて。

これまで、子どもを取り巻く大人が誤った考えをしてきたせいで、不登校の問題はかなり深刻になってしまっている。

特に、これまでの文部科学省、大学教員、教育現場の多数派、そしてマスコミが造り上げてきたイメージ──傷つきやすい子どもたち──というイメージを植え付けてきたことは、犯罪的といえるだろう。

本来、子どもは傷つきやすい存在ではなかった。だが、残念ながら大人が勝手に造り上げたイメージに甘えて、子ども達は本当に傷つきやすくなってしまった(というか甘えが強くなった)。自分は、そういう子ども達を本来の雑草のように強い子どもに戻すために休む暇なく活動している。

不登校の子どもが目の前にいるとする。すると、実践力の無い教師や心理士、精神科医や大学教員などは、すぐにこんなことを言う。

「しばらく充電するのも必要だ」

阿呆か? 充電ってなんだ?

子どものおでこに液晶画面でも付いていて、学校を休ませるとバッテリーマークが満タンになって、そしたら必ず学校に行くっていうのならまだわかる。

いつまで充 電させたらいいのか? 携帯電話の説明書には「約2時間で充電は完了します」などと書いてあるぞ。子どもには何日休ませたら充電完了なのか?

こんな役に立たないごまかし表現を使うな。そして、使わせるな。

他にも、こんな表現も多々、みられる。

「不登校の子どもは感受性が高い」

馬鹿か。だから何が言いたいんだ。不登校の子どものおでこに付いている液晶画面のアンテナは常にバリ3なのか? 不登校に一度もならない子どもは圏外なのか? 子どもを携帯電話に喩えるのはやめてほしい。文学表現や根拠のない比喩を使って実践力の無さをごまかすな。

そもそも「不登校の子どもは・・・」などと十把一絡げにするのはよくないことだ。保護者も、そして当事者(不登校経験者)も、自分の経験を一般化するのはよくない。センチメンタリズムは役に立たないのだ。

学校に行っている子どもにも感受性が高いのもいれば低いのもいる。不登校の子どもにも感受性の高いのばかりではなく、感受性が低いのもいる。専門家の仕事は、個々の子どものアセスメントを丁寧に行うことなのだ。

日本の不登校の問題がいつまでたっても改善しない。改善のためには、これまでの考え方、やり方を全面否定するしかないだろう。自分は数少ない同志と共に、これからも闘っていく。

Posted by 奥田健次 教育 |

2005.09.08

スポーツの日

今日はスポーツ三昧。ただし観戦だが。

日本代表サッカーは、ホンジュラスと。スタートしてから2点取られるまでは、どうしようもない睡魔に襲われ、テレビの前でしばし就寝。

セルジオ越後の叱咤で目が覚めた。それから後が激しかったな。よくぞ追いつき、逆転した。ただ、ランキングでは日本のほうがホンジュラスより上のはず。このままでワールドカップ大丈夫なのか。自分はラモス瑠偉が好き。三都主も。

その後、チャンネル回したらHERO'S(総合格闘技)やってた。中量級の選手の攻防は、バレーボール女子のような感じで面白い。バレーボール女子って、いくら体格の差があっても、ボールの速度に限界があるので、日本人の体力でも食らいついていける。中量級の格闘技も、ボコボコに殴り合っても、ちょっとやそっとでは倒れない。ヘビー級だと、1発で終わってしまう。

もう終わりかと思ったら、今度はまさに女子バレーボール。柳本JAPAN。やってるではないか。たった今、フルセットの末、負けてしまったが。

また睡眠時間が短くなるな。そういえば、今日、1食しか食べていない気がする。ちょっと時間を作って運動しなければ。

2年前、東京ドームを貸し切ってソフトボールして以来、運動という運動をしていないかも。やばい。

Posted by 奥田健次 スポーツ |

2005.09.07

携帯電話を規制する

ソーリ ダイジーン に なったーら
ソーリ ダイジーン に なったーら
ケータイデンワ を きせい する

もしも自分が政治家なら、さっさと携帯電話を規制するだろう。

考えて欲しい。携帯電話は中毒性の高いもの。自分もそうだが、携帯電話を自宅に忘れたら、結構、不安になる。もともと電話がかかってくることが少ないくせに、そんな時に限って電話が掛かってきたらどうしようと、アセるのだ。この中毒性については、携帯電話が普及し始めた頃から携帯電話依存と呼んできた。

ネットで調べてみると、携帯電話依存症という言葉がすでに辞書にあるではないか。

携帯電話依存症
【けいたいでんわいぞんしょう】
俗に,携帯電話への依存性が非常に高い状態のこと。端末を自宅に置き忘れたり,メールの返事が帰ってこないと,不安や焦りなどの感情を引き起こしてしまう状態をさす。携帯(ケータイ)依存症。携帯(電話)中毒。ケータイ中毒。ケーチュー。(goo辞書より)

中毒性のあるものや児童の発達に健全でないものは規制するべきだ。酒やタバコには規制があって、携帯電話だけ規制がないのはおかしい。映画にも規制がある。自分は映画よりも携帯電話のほうが、はるかに問題だと思っている。

最近では、テレビゲームでさえ、規制とまではいかないかもしれないが、やりすぎを注意するような文言がパッケージなどに表示されるようになってきた。

自分は以下のことを提案する。

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携帯電話等規制法案(法律ドシロウト版)

一、15歳未満に、携帯電話(PHSを含む)を持たせることを禁止する。どうしても持たせたい場合、通話先は保護者・きょうだい、緊急電話(110、119)のみの制限付き電話とする。ただし、メール機能、インターネット機能は、一切、使用できない端末とする。

二、15歳以上、18歳未満の児童については、保護者の承諾を得た上で携帯電話を持たせることを認める。ただし、電話とメール機能については夜22時から朝5時まで使用制限(通話や送受信ができない)がかけられる。インターネット機能は、出会い系またはそれに類する業者へのアクセスへの制限がかけられる。

三、上記を遵守しない保護者には罰金、禁固刑。通信事業者には罰金、禁固刑、事業者資格の取り消し。

四、公共交通機関(タクシーを除く)では、自動的にマナーモードに切り替わる機種以外の携帯電話を製造・販売することを禁ずる。残念ながら、特に中年層の マナーモード使用率は低く、業者が対応せざるを得ないからだ。これを遵守しない製造・販売業者には罰金、禁固刑、製造・販売資格の取り消し。

五、外国人旅行者においても、公共交通機関(タクシーを除く)で携帯電話の着信音を鳴らした「ならず者」は、シンガポールでゴミを道端に捨てたら罰金刑と同じく、罰金刑とする。文句を言う外国人には、キチンと「ならしたのにならず者」の意味を教えてやる義務を負う。

六、テレビや映画の中でも、児童が携帯電話を使用する場面をむやみに露出しない。必要上、やむを得ない場合は露出の方法に配慮する。

七、18歳未満のインターネットの利用についても、別に定めるインターネット規制法の精神に鑑み、本法案と相互に関連させつつ改訂を行うものとする。

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使用する本人の自主規制に任せるなんてナンパなことを言っている大人は役立たずだ。どうだろう。政治家や官僚に、携帯電話を規制することはできるのか。そ の気があるのならば、自分は心理学者の立場から協力は惜しまないが。

通信事業の大企業からの反発、すでに携帯電話依存になっている大人、子どもからの反 発。いろいろあるだろう。どうも60歳前後から70歳、それ以上の人には、携帯電話やインターネットの危うさを理解できていない人が多いようだ。

携帯電話やインターネットメール世代が大学生、社会人となって進出してきた。彼(彼女)らは、コミュニケーションとソーシャルスキルの両面でかなりの困難性を持っている。

自分が学生の頃、恩師に食事をご馳走になったら、必ず直子の代筆を片手に2時間くらいかけて葉書にお礼を書いたものだ(封書ではなく葉書で出すことに恐縮 しつつ)。書く前、書きながら、推敲しながら、そしてポストに投函するまでの間、宛先の恩師のことを思いつつ。

そして、次にお会いしたときには、必ず最初のご挨拶と共に「前回はお食事をご馳走いただき、ありがとうございました」と言っていた。

それが今どきの社会人、学生たちはどうか。下手をすれば、食事をおごっても店の外に出たときに雨でも降っていれば「あら、雨が降ってきた」の一言で、「ごちそうさまでした」を言うことさえ忘れる始末。

いつかブログで、オゴラレ禁止法案を作ることにする。

Posted by 奥田健次 教育 |

スティーブ・ジョブス

友人からちょっといい話を転送してもらった。

アップルコンピュータの創設者、スティーブ・ジョブス氏のスピーチだ。読んでみると、所々、氏の言葉が胸に響く。自分も共感するところが多かった。特に、死を考えることで人生に重要な決断ができるという部分。

自分も毎日、自分の生を終えることを意識しながら生活をしている。つまり、死を身近なものとして生活しているのだ。

そして、ジョブス氏の生い立ち。大した学歴もない自分と似ているところもあって、これもまた共感できた。自分も養子縁組の子だし。

ブログの記事としては少し長いかもしれないが、ぜひゆっくり読んで欲しい。

引用元はPLANet blog.

--以下、引用。

アップルコンピュータ創立
CEOのスティーブ・ジョブス氏のスタンフォード大学卒業祝賀スピーチ

PART  1   BIRTH
 ありがとう。世界有数の最高学府を卒業される皆さんと、本日こうして晴れの門出に同席でき大変光栄です。実を言うと私は大学を出たことがないので、これが今までで最も大学卒業に近い経験ということになります。
 本日は皆さんに私自身の人生から得たストーリーを3つ紹介します。それだけです。どうってことないですよね、たった3つです。最初の話は、点と点を繋ぐというお話です。
 私はリード大学を半年で退学しました。が、本当にやめてしまうまで18ヶ月かそこらはまだ大学に居残って授業を聴講していました。じゃあ、なぜ辞めたんだ?ということになるんですけども、それは私が生まれる前の話に遡ります。
 私の生みの母親は若い未婚の院生で、私のことは生まれたらすぐ養子に出すと決めていました。育ての親は大卒でなくては、そう彼女は固く思い定めていたの で、ある弁護士の夫婦が出産と同時に私を養子として引き取ることで手筈はすべて整っていたんですね。ところがいざ私がポンと出てしまうと最後のギリギリの 土壇場になってやっぱり女の子が欲しいということになってしまった。で、養子縁組待ちのリストに名前が載っていた今の両親のところに夜も遅い時間に電話が 行ったんです。「予定外の男の赤ちゃんが生まれてしまったんですけど、欲しいですか?」。彼らは「もちろん」と答えました。
 しかし、これは生みの母親も後で知ったことなんですが、二人のうち母親の方は大学なんか一度だって出ていないし父親に至っては高校もロクに出ていないわ けです。そうと知った生みの母親は養子縁組の最終書類にサインを拒みました。そうして何ヶ月かが経って今の親が将来私を大学に行かせると約束したので、さ すがの母親も態度を和らげた、といういきさつがありました。

               ◆◇◆

PART  2   COLLEGE DROP-OUT
 こうして私の人生はスタートしました。やがて17年後、私は本当に大学に入るわけなんだけど、何も考えずにスタンフォード並みに学費の高いカレッジを選 んでしまったもんだから労働者階級の親の稼ぎはすべて大学の学費に消えていくんですね。そうして6ヶ月も過ぎた頃には、私はもうそこに何の価値も見出せな くなっていた。自分が人生で何がやりたいのか私には全く分からなかったし、それを見つける手助けをどう大学がしてくれるのかも全く分からない。なのに自分 はここにいて、親が生涯かけて貯めた金を残らず使い果たしている。だから退学を決めた。全てのことはうまく行くと信じてね。
 そりゃ当時はかなり怖かったですよ。ただ、今こうして振り返ってみると、あれは人生最良の決断だったと思えます。だって退学した瞬間から興味のない必修 科目はもう採る必要がないから、そういうのは止めてしまって、その分もっともっと面白そうなクラスを聴講しにいけるんですからね。
 夢物語とは無縁の暮らしでした。寮に自分の持ち部屋がないから夜は友達の部屋の床に寝泊りさせてもらってたし、コーラの瓶を店に返すと5セント玉がもら えるんだけど、あれを貯めて食費に充てたりね。日曜の夜はいつも7マイル(11.2km)歩いて街を抜けると、ハーレクリシュナ寺院でやっとまともなメシ にありつける、これが無茶苦茶旨くてね。
 しかし、こうして自分の興味と直感の赴くまま当時身につけたことの多くは、あとになって値札がつけられないぐらい価値のあるものだって分かってきたんだね。
 ひとつ具体的な話をしてみましょう。

               ◆◇◆

PART  3   CONNECTING DOTS
 リード大学は、当時としてはおそらく国内最高水準のカリグラフィ教育を提供する大学でした。キャンパスのそれこそ至るところ、ポスター1枚から戸棚のひ とつひとつに貼るラベルの1枚1枚まで美しい手書きのカリグラフィ(飾り文字)が施されていました。私は退学した身。もう普通のクラスには出なくていい。 そこでとりあえずカリグラフィのクラスを採って、どうやったらそれができるのか勉強してみることに決めたんです。
 セリフをやってサンセリフの書体もやって、あとは活字の組み合わせに応じて字間を調整する手法を学んだり、素晴らしいフォントを実現するためには何が必 要かを学んだり。それは美しく、歴史があり、科学では判別できない微妙なアートの要素を持つ世界で、いざ始めてみると私はすっかり夢中になってしまったん ですね。
 こういったことは、どれも生きていく上で何ら実践の役に立ちそうのないものばかりです。だけど、それから10年経って最初のマッキントッシュ・コン ピュータを設計する段になって、この時の経験が丸ごと私の中に蘇ってきたんですね。で、僕たちはその全てをマックの設計に組み込んだ。そうして完成したの は、美しいフォント機能を備えた世界初のコンピュータでした。
 もし私が大学であのコースひとつ寄り道していなかったら、マックには複数書体も字間調整フォントも入っていなかっただろうし、ウィンドウズはマックの単 なるパクりに過ぎないので、パソコン全体で見回してもそうした機能を備えたパソコンは地上に1台として存在しなかったことになります。
 もし私がドロップアウト(退学)していなかったら、あのカリグラフィのクラスにはドロップイン(寄り道)していなかった。
 そして、パソコンには今あるような素晴らしいフォントが搭載されていなかった。
 もちろん大学にいた頃の私には、まだそんな先々のことまで読んで点と点を繋げてみることなんてできませんでしたよ。だけど10年後振り返ってみると、こ れほどまたハッキリクッキリ見えることもないわけで、そこなんだよね。もう一度言います。未来に先回りして点と点を繋げて見ることはできない、君たちにできるのは過去を振り返って繋げることだけなんだ。だからこそバラバラの点であっても将来それが何らかのかたちで必ず繋がっていくと信じなくてはならない。自分の根性、運命、人生、カルマ…何でもいい、とにかく信 じること。点と点が自分の歩んでいく道の途上のどこかで必ずひとつに繋がっていく、そう信じることで君たちは確信を持って己の心の赴くまま生きていくこと ができる。結果、人と違う道を行くことになってもそれは同じ。信じることで全てのことは、間違いなく変わるんです。

               ◆◇◆

PART  4   FIRED FROM APPLE
 2番目の話は、愛と敗北にまつわるお話です。
 私は幸運でした。自分が何をしたいのか、人生の早い段階で見つけることができた。実家のガレージでウォズとアップルを始めたのは、私が二十歳の時でし た。がむしゃらに働いて10年後、アップルはガレージの我々たった二人の会社から従業員4千人以上の20億ドル企業になりました。そうして自分たちが出し うる最高の作品、マッキントッシュを発表してたった1年後、30回目の誕生日を迎えたその矢先に私は会社を、クビになったんです。
 自分が始めた会社だろ?どうしたらクビになるんだ?と思われるかもしれませんが、要するにこういうことです。アップルが大きくなったので私の右腕として 会社を動かせる非常に有能な人間を雇った。そして最初の1年かそこらはうまく行った。けど互いの将来ビジョンにやがて亀裂が生じ始め、最後は物別れに終 わってしまった。いざ決裂する段階になって取締役会議が彼に味方したので、齢30にして会社を追い出されたと、そういうことです。しかも私が会社を放逐さ れたことは当時大分騒がれたので、世の中の誰もが知っていた。
 自分が社会人生命の全てをかけて打ち込んできたものが消えたんですから、私はもうズタズタでした。数ヶ月はどうしたらいいのか本当に分からなかった。自 分のせいで前の世代から受け継いだ起業家たちの業績が地に落ちた、自分は自分に渡されたバトンを落としてしまったんだ、そう感じました。このように最悪の かたちで全てを台無しにしてしまったことを詫びようと、デイヴィッド・パッカードとボブ・ノイスにも会いました。知る人ぞ知る著名な落伍者となったことで 一時はシリコンヴァレーを離れることも考えたほどです。
 ところが、そうこうしているうちに少しずつ私の中で何かが見え始めてきたんです。私はまだ自分のやった仕事が好きでした。アップルでのイザコザはその気 持ちをいささかも変えなかった。振られても、まだ好きなんですね。だからもう一度、一から出直してみることに決めたんです。
 その時は分からなかったのですが、やがてアップルをクビになったことは自分の人生最良の出来事だったのだ、ということが分かってきました。成功者である ことの重み、それがビギナーであることの軽さに代わった。そして、あらゆる物事に対して前ほど自信も持てなくなった代わりに、自由になれたことで私はまた 一つ、自分の人生で最もクリエイティブな時代の絶頂期に足を踏み出すことができたんですね。
 それに続く5年のうちに私はNeXTという会社を始め、ピクサーという会社を作り、素晴らしい女性と恋に落ち、彼女は私の妻になりました。
 ピクサーはやがてコンピュータ・アニメーションによる世界初の映画「トイ・ストーリー」を創り、今では世界で最も成功しているアニメーション・スタジオです。
 思いがけない方向に物事が運び、NeXTはアップルが買収し、私はアップルに復帰。NeXTで開発した技術は現在アップルが進める企業再生努力の中心にあります。ロレーヌと私は一緒に素晴らしい家庭を築いてきました。
 アップルをクビになっていなかったらこうした事は何ひとつ起こらなかった、私にはそう断言できます。そりゃひどい味の薬でしたよ。でも患者にはそれが必 要なんだろうね。人生には時としてレンガで頭をぶん殴られるようなひどいことも起こるものなのです。だけど、信念を放り投げちゃいけない。私が挫けずに やってこれたのはただ一つ、自分のやっている仕事が好きだという、その気持ちがあったからです。皆さんも自分がやって好きなことを見つけなきゃいけない。 それは仕事も恋愛も根本は同じで、君たちもこれから仕事が人生の大きなパートを占めていくだろうけど自分が本当に心の底から満足を得たいなら進む道はただ 一つ、自分が素晴しいと信じる仕事をやる、それしかない。そして素晴らしい仕事をしたいと思うなら進むべき道はただ一つ、好きなことを仕事にすることなん ですね。まだ見つかってないなら探し続ければいい。落ち着いてしまっちゃ駄目です。心の問題と一緒でそういうのは見つかるとすぐピンとくるものだし、素晴 らしい恋愛と同じで年を重ねるごとにどんどんどんどん良くなっていく。だから探し続けること。落ち着いてしまってはいけない。

               ◆◇◆

PART  5   ABOUT DEATH
 3つ目は、死に関するお話です。
 私は17の時、こんなような言葉をどこかで読みました。確かこうです。
「来る日も来る日もこれが人生最後の日と思って生きるとしよう。そうすればいずれ必ず、間違いなくその通りになる日がくるだろう」。それは私にとって強烈 な印象を与える言葉でした。そしてそれから現在に至るまで33年間、私は毎朝鏡を見て自分にこう問い掛けるのを日課としてきました。「もし今日が自分の人 生最後の日だとしたら、今日やる予定のことを私は本当にやりたいだろうか?」。それに対する答えが“NO”の日が幾日も続くと、そろそろ何かを変える必要 があるなと、そう悟るわけです。
 自分が死と隣り合わせにあることを忘れずに思うこと。これは私がこれまで人生を左右する重大な選択を迫られた時には常に、決断を下す最も大きな手掛かり となってくれました。何故なら、ありとあらゆる物事はほとんど全て…外部からの期待の全て、己のプライドの全て、屈辱や挫折に対する恐怖の全て…こういっ たものは我々が死んだ瞬間に全て、きれいサッパリ消え去っていく以外ないものだからです。そして後に残されるのは本当に大事なことだけ。自分もいつかは死 ぬ。そのことを思い起こせば自分が何か失ってしまうんじゃないかという思考の落とし穴は回避できるし、これは私の知る限り最善の防御策です。
 君たちはもう素っ裸なんです。自分の心の赴くまま生きてならない理由など、何一つない。
              
 ◆◇◆

PART  6   DIAGNOSED WITH CANCER
 今から1年ほど前、私は癌と診断されました。 朝の7時半にスキャンを受けたところ、私のすい臓にクッキリと腫瘍が映っていたんですね。私はその時まで、すい臓が何かも知らなかった。
 医師たちは私に言いました。これは治療不能な癌の種別である、ほぼ断定していいと。生きて3ヶ月から6ヶ月、それ以上の寿命は望めないだろう、と。主治 医は家に帰って仕事を片付けるよう、私に助言しました。これは医師の世界では「死に支度をしろ」という意味のコード(符牒)です。
 それはつまり、子どもたちに今後10年の間に言っておきたいことがあるのなら思いつく限り全て、なんとか今のうちに伝えておけ、ということです。たった 数ヶ月でね。それはつまり自分の家族がなるべく楽な気持ちで対処できるよう万事しっかりケリをつけろ、ということです。それはつまり、さよならを告げる、 ということです。
 私はその診断結果を丸1日抱えて過ごしました。そしてその日の夕方遅く、バイオプシー(生検)を受け、喉から内視鏡を突っ込んで中を診てもらったんです ね。内視鏡は胃を通って腸内に入り、そこから医師たちはすい臓に針で穴を開け腫瘍の細胞を幾つか採取しました。私は鎮静剤を服用していたのでよく分からな かったんですが、その場に立ち会った妻から後で聞いた話によると、顕微鏡を覗いた医師が私の細胞を見た途端、急に泣き出したんだそうです。何故ならそれ は、すい臓癌としては極めて稀な形状の腫瘍で、手術で直せる、そう分かったからなんです。こうして私は手術を受け、ありがたいことに今も元気です。
 これは私がこれまで生きてきた中で最も、死に際に近づいた経験ということになります。この先何十年かは、これ以上近い経験はないものと願いたいですけどね。
 以前の私にとって死は、意識すると役に立つことは立つんだけど純粋に頭の中の概念に過ぎませんでした。でも、あれを経験した今だから前より多少は確信を 持って君たちに言えることなんだが、誰も死にたい人なんていないんだよね。天国に行きたいと願う人ですら、まさかそこに行くために死にたいとは思わない。 にも関わらず死は我々みんなが共有する終着点なんだ。かつてそこから逃れられた人は誰一人としていない。そしてそれは、そうあるべきことだから、そういうこ とになっているんですよ。何故と言うなら、死はおそらく生が生んだ唯一無比の、最高の発明品だからです。それは生のチェンジエージェント、要するに古きも のを一掃して新しきものに道筋を作っていく働きのあるものなんです。今この瞬間、新しきものと言ったらそれは他ならぬ君たちのことだ。しかしいつか遠くな い将来、その君たちもだんだん古きものになっていって一掃される日が来る。とてもドラマチックな言い草で済まんけど、でもそれが紛れもない真実なんです。
 君たちの時間は限られている。だから自分以外の他の誰かの人生を生きて無駄にする暇なんかない。ドグマという罠に、絡め取られてはいけない。それは他の 人たちの考え方が生んだ結果とともに生きていくということだからね。その他大勢の意見の雑音に自分の内なる声、心、直感を掻き消されないことです。自分の 内なる声、心、直感というのは、どうしたわけか君が本当になりたいことが何か、もうとっくの昔に知っているんだ。だからそれ以外のことは全て、二の次でい い。

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PART  7   STAY HUNGRY, STAY FOOLISH
 私が若い頃、"The Whole Earth Catalogue(全地球カタログ)"というとんでもない出版物があって、同世代の間ではバイブルの一つになっていました。
 それはスチュアート・ブランドという男がここからそう遠くないメンローパークで製作したもので、彼の詩的なタッチが誌面を実に生き生きしたものに仕上げていました。時代は60年代後半。パソコンやデスクトップ印刷がまだ普及 する前の話ですから、媒体は全てタイプライターとはさみ、ポラロイドカメラで作っていた。だけど、それはまるでグーグルが出る35年前の時代に遡って出さ れたグーグルのペーパーバック版とも言うべきもので、理想に輝き、使えるツールと偉大な概念がそれこそページの端から溢れ返っている、そんな印刷物でし た。
 スチュアートと彼のチームはこの”The Whole Earth Catalogue”の発行を何度か重ね、コースを一通り走り切ってしまうと最終号を出した。それが70年代半ば。私はちょうど今の君たちと同じ年頃でした。
 最終号の背表紙には、まだ朝早い田舎道の写真が1枚ありました。君が冒険の好きなタイプならヒッチハイクの途上で一度は出会う、そんな田舎道の写真で す。写真の下にはこんな言葉が書かれていました。「Stay hungry, stayfoolish.(ハングリーであれ。馬鹿であれ)」。それが断筆する彼らが最後に残した、お別れのメッセージでした。「Stay hungry, stay foolish.」
 それからというもの私は常に自分自身そうありたいと願い続けてきた。そして今、卒業して新たな人生に踏み出す君たちに、それを願って止みません。

  Stay hungry, stay foolish.
 ご清聴ありがとうございました。

the Stanford University Commencement address by Steve Jobs CEO, Apple Computer CEO, Pixar Animation Studios
翻訳 市村佐登美
satomi@mediaexpress.org

Posted by 奥田健次 学ぶこと |

2005.09.06

子や孫の世代まで

バンコクに行ったときに感じたこと。

前々回、自分の宿泊するホテル近辺のコンビニに買い物に出たとき、日本語を話す50歳前後の太った男と30歳前後の男が、現地の少女2人を連れて買い物をしていた。雰囲気的にはどう見ても不釣り合い。翌日、現地に駐在する日本人にこの話をしてみると、要するに買春に来ている奴らだそうな。なんとも恥ずかしい気持ちになった。

ただし、日本人だけかと思えばそんなことはない。前回出かけたときには、英語を使う白人の連中が現地の少女をべったりと連れ回していたのを何度も見かけた。年齢にして20代もいただろうし50代もいた。直接、現金を手渡している場面も間近で目撃した。

何とも悲しい話である。貧富の差というものは、こんなものなのか。前出の在タイ日本人の話では「売るほうも売るほう」だという。そういう少女たちは、売春 で得た金をホストクラブに使っているとのこと。体を売って得た金を、学費に充てたり親に仕送りしたりしているケースは僅かである。悪銭身に付かず。これはどの 国の売春女にも共通する。

また現地人で売春を斡旋する業者がいるわけだから、現地人にも自国民の誇りより金というのがいるわけだ。もちろん、現地より貧しい国の少女を連れてくるほうが多いのだろうが、自国の少女を売ることだってあるのだ。

ちなみに、現地駐在の日本人は大抵、アヤさん(メイドのこと)を雇っている。このアヤさんは、大変貧しい国から来ているのだ。日本とは経済格差が激しいため、平均的な収入の家庭でも、現地の貧しい階層の人達には大金持ち以外の何者でもない。

今、日本は経済大国(借金大国でもあるが)。だから誇らしくしている日本人は思考停止状態だ。将来のこと、子や孫、その孫の世代のことまで考えるのが大人の仕事だ。現在の政治家(国民も)は、そこのところの危機感が無さ過ぎる

たとえば、郵政民営化が実現したら、当然ながら郵貯・簡易保険の340兆円が世界のマーケットに流れ出る。そして、すでに始まっているように海外の企業に よる日本の企業の買収に拍車が掛かる。簡単にいえば、日本人が外国人に雇われる(支配される)時代がやってくるのだ。政治家ならば、こういうことを徹底し て阻止するべきではないか。

これから、少子社会を迎えることは事実だ。当然ながら、国の経済力は半減する。

50年後、自分の可愛い孫娘がアメリカや中国企業の在日社員のメイドとして安い賃金で雇われていることを想像してみた。祖父として、他の仕事をしてもらいたくても、 どうしようもない世の中だ。自分の兄弟の孫には、アメリカや中国からの旅行者を相手に売春している子もいる。こんなことを想像してみた。いや、こうしたこ とはすでに始まっているのではないか。

この時代は外圧の激しかった幕末に似ている。あるいは幕末以来、本質は何も変わっていないのかもしれない。高杉晋作が上海を訪れた際、現地はイギリス、フ ランス、アメリカの半植民地となっており、清朝を支配していた満民族は白人に支配されていた。高杉はこれを目の当たりにし、愕然としただろう。この時、 1862年。高杉、24歳。今から150年近く前のことである。

危機感を募らせた高杉は命を懸けて自国を守ろうと奔走するが、初めて闘った欧米列強のケタ外れの強さを思い知らされる。その後、外圧に対する危機感のない政府(徳川 幕府)を倒すために働いた。

今の世、こんな若者はいないのか。若者といえば、自分の会社をアメリカの投資銀行に実質譲渡し、大金を借りて放送会社を手に入れよう とした人間を思い出す。この若者が放送会社を手に入れても、その裏には大金を貸したアメリカ資本があるわけだから、その放送会社グループはアメリカ資本に 支配されたといってよいのではないか。

自国の文化や公共性よりも身内の金儲けを優先する人間は、自国の少女を外国に売り渡す売春斡旋業者と同じだ。大企業も政治家も同じで、自分が「富」のほうにい れば大丈夫だと思っているのか。あまりに貧富の差が拡大すると、「富」に属する人間すらいずれ廃退してしまうだろう。「富」に属する人間のコントロールにより、庶民の大半が愚民化してしまったが、 「富」のほう自らが自由競争にある程度の歯止めをかけることはできないのか。

だが、これまでの歴史をみても無理だろう。明治維新を成し遂げたのは、上流階級ではなく下級武士や決起した庶民だったから。自ら歯止めを掛けることもできない「富」のほうも愚かであり、哀れである

Posted by 奥田健次 社会, 経済・政治・国際 |

2005.09.05

サザエさんのエンディング・ブルー症候群

日曜日の夜、サザエさんのエンディングで、一家揃って三角屋根のお家に飛び込む辺りの曲を聞くと、なんだかブルーになったことはありませんか? 自分はこれを『サザエさんのエンディング・ブルー症候群』と呼んでいる。

1週間の中で、気分の浮き沈みが、ある一定のパターンで変動する。これは、大人にも子どもにもみられる現象だ。土日が休日の人にとっては、金曜日の昼過ぎから晴れやかな気分になり、夕方、職場や学校から帰るときには最高の気分。「今夜はパーっと行きましょう!!」というのは金曜の夜であり、飲み屋さんなど夜の街が儲かる曜日となっている。

米国にも“TGIF”という言葉がある。これは、“Thanks God It's Friday.”の頭文字で、「花の金曜日」を意味している。旧日本海軍(現在は海上自衛隊)では、「金曜カレー」というのがある。今でも必ず金曜日はカレーを食べている。こちらは、長期航海で分からなくなる曜日感覚を取り戻す意味も含まれている。きっと美味しいに違いない。

金曜、土曜は幸せ。ところが、日曜の夕方あたりから段々、悲しい気分になってくる。サザエさんのエンディングあたりになると、切なくなってくる。そして、月曜日の朝、1週間で最大のうつ状態を迎えることになる。

こうした週間変動に対して、日中変動というのもある。日中変動は、1日の時間の流れで、気分の浮き沈みが一定のパターンで変動することをいう。たとえば、 朝起きたときに最大の不調を覚えるが、出発しなければならない時間を過ぎて「今日は学校(仕事)を休みます」となった後、徐々に体調は元に戻り、昼過ぎには元気に なってくる。

このままなら明日は学校に行けるかなと思いつつ、夕方から夜にかけてまた不安になってきて、次の日の朝に最大の不調を訴える。こういうパターン。この日中変動のことを自分は『お昼の料理番組&笑っていいともを見ると体調スッキリ症候群』と呼んでいる。

これらの週間変動や日中変動は、初期の不登校、登校しぶりのアセスメントで行っておくべきインタビューの一つだ。

わが国の不登校の児童・生徒への支援は、明らかに間違っている。先進国でこれほど不登校の子どもをほったらかしにしている国は日本くらいだ。教育関係者、心理臨床関係者、行政は何をやってきたのか。いずれ、このブログで間違いを指摘していこう。

ちなみに、自分はここ数年、週末に仕事を休んだことがないので、サザエさんのエンディングではブルーになりませんわ。というか、何曜日かって忘れてることのほうが多いかな。

Posted by 奥田健次 教育 |

2005.09.04

仕事と人格

どうも気になることがある。

教育関係の人間で、仕事と人格をイコールにしてしまっている人が少なくない。あるいは、世間が教育に携わる人間に最高人格なるものを求めていることも事実としてあるのではないか。

自分も教育を仕事にする立場にある。先に断っておくが、自分は最低人格である。仕事の前にいかに遊ぶか考えてしまう遊び人だし、 徹底的なへそ曲がりだし、意外と小さな事を気にするみたいだし。これは治したくても治しようがない。というか、もう治せないし、治そうとも思わない。この社会では生活しづらいが、それでいて仕事には結構、役立っているからである。

ただ、自分の提供している教育的援助、たとえば子どもに対するセラピーや学校コンサルテーション、子育て支援や保護者への指導、そして大学での講義など、こういったものについては問題解決のための援助、目標達成のために徹底的に全精力を傾注している。

本来は、相談者だって特定の問題をかかえて相談に来ているわけだ。その特定された問題の解決こそ、本来の目的である。問題解決力の無い人間たち、指導力の無い人間たちが、「人格こそ大切だ」などと言っているにすぎない。そして、世間もそれにまんまと騙され続けている。

我が子が困難な外科手術を必要としているとしよう。その手術を任せるには無理があるが、世間で評判の人格者といわれるドクター。片や、世間での(人格につ いての)評判は悪いが、手術の腕前は最高のブラックジャック。どちらを選ぶか。それでも、人格者ドクターを選ぶ人がいるだろう。

自分のところに相談に来ている方々は、問題解決のニーズを明確にするよう鍛えられているので、人格の良し悪しなど求めなくなっている。自分がプライベートで遊 び人だろうと何だろうと、そんなことよりも何をしてくれるかを求めているからだ。だから、こちらもさらに鍛えられている。人格などを引き合いに出したごまかしがきかないからだ。

自分も仕事とプライベートは完全に切り離している。だから、このブログでどんな馬鹿なことを書いても、仕事には影響しないと思っている。

ただ、やはり教育関係者や世間がついてこれなくなるのも十分、想像できる。それはそれで今は仕方がない。「それは、それ」「これは、これ」という切り替え思考の出来ない人が、老若男女、増えているような気がする。

それでも、仕事と人格はイコールにしないほうがいい。たとえば、仕事の実践上のことで否定的な意見を言われたときに、仕事と人格をイコールにしている人達 は、自分の人格を否定されたと感じてしまって、感情的になるか、恨みを持ってしまいやすい。相互に発展するための議論にならない。

「人格、人格」という人。きっとその方の人格は最高人格なのでしょうね。

Posted by 奥田健次 教育 |

2005.09.03

番長賛歌

自分が中学校の頃、体罰は日常茶飯事だった。自分も「そこまで殴るか?」というくらい殴られた。こっちが悪い場合がほとんどだが、それにしても「そこまで殴るか?」である。

ある先生などは、どうやら生徒が倒れるまで殴ることにしていたようだ。自分はその法則に気付くのが遅く、5発ほど喰らってから倒れていた。隣の奴は、1発で倒れていたから、なかなか賢い奴だ。

それから、自分は第二次ベビーブームの世代なので、教室はぎっしり満杯。いじめも激しかった。中学1年のとき、自分は体重が45キロしかなく、持ち上げたり投げたりしやすいので、よくプロレス技をかけられたりした。1対8とかで、抵抗すれば損をする。

中学2年の頃、またいじめがあった。多数で来られたら、最初から抵抗はしなかった。

ある日、いじめのメンバーの一人が、自分を屋上に連れて行った。そこで「なにをカッコつけとるねん」と因縁をふっかけられたのだ。ここは1対1。自分は大きく息を吸い込んで 「ワレ、なめとったら、いてまうぞ!!」とかましてやった。そいつは意外な態度に驚いて「いや、もういいから」と引いたので、「お前な あ、今度、ようけ(沢山)で来て、ナメたことしたら、一人の時に半殺しにしたるぞ」とダメ押ししておいた。

その後、自分に対するいじめはほとんど無かったし、あってもこの屋上男は黙ってみているだけだった。

中学3年になって、すべてが変わった。自分の名字に近い名前の男が、地域で最強の番長で、初めて一緒のクラス、しかも隣同士になってしまったのだ。なぜか自分はこの番長に可愛がられた。

たとえば、マラソン大会。自分は一生懸命まじめに走っても、肺活量の低さから、いつも最下位争い。でも、番長は違う。本当は走れるくせに、わざと最下位にな ろうとするのだ。ちなみに、自分の中学校のウリの一つが、マラソンに力を入れていることだった。

自分が小銭を少し用意しておいて、靴下に隠しておき、番長と折り返し地点を過ぎたあと、自販機でジュースを購入した。番長と 一緒に水分補給。番長はこういう意外性やら機転が利くのやらが好きなのだ。ゴール寸前、校庭のトラックに戻る前、番長は「お前が先に行け」と合図する。自分は「ハヒー、ハヒー」言いながら大 袈裟にゴール。それに続いて、番長は両手を振りながら、歩いてトラックを一周し、最下位でゴール。見事な絵だった。

ある日の全体朝礼。校長の話があまりに退屈で長い。自分は番長に話しかけ、いつものように笑わせていた。後ろのほうだったのに、それを目ざとく見つけた体罰バリバリ体育教師が、 校長のアリガタイお話を遮って「おりゃー、お前!! 何やっとんじゃ、出てこーーーい!!」と怒鳴る。全学年、全教員、そして校長も凍り付く。自分は「また殴られる んかいな」と、前に出ようとした刹那、番長が「なんじゃーーーーい!!」と言いながら、その体罰教師のところまで出ていった。体罰教師にしたら『いや、お 前とちゃうねんけど』という感じか。

番長の態度に体罰教師もひるまず胸ぐらを掴む。番長も体罰教師の胸ぐらを掴み返す。修羅場だ。

体罰教師「ちゃんとせえっ!!」
番長「やったるわいっ!!」
体罰教師「分かっとんか!!」
番長「分かっとーわ!!」
体罰教師「よし」
番長「おう」

番長は、全校生徒が恐れる体罰教師を相手に一歩も引かず、また男を上げた。

この番長、弱い者をいじめることは決してなかった。だから、自分も番長と仲良くなったからといって、これまでいじめてきた奴らに仕返しをしようと考える こともなかった。番長はいつも自分より強い存在に向かっていくのが好きなようだ。アンタッチャブルなものに、やたら触ろうとする。自分はこの番長の影響を受けすぎ た。

退屈な授業で、自分は突然「あーー、ウンコしたくなってきたーー」と言って爆笑させた。担任に叱られると「ウンコしたくなって、何が悪いねん」と言ってみたり。無茶苦茶な生徒だった。

番長と一緒に学校をさぼって、坂道で一緒に缶チューハイを飲んでゲロを吐いたり。適当にコークハイを作って悪酔いしたり。無茶なことをやったものだ。当然ながら、番長との出会いで、成績は下がっていった。それでも、この番長の姿勢から学ぶことも多かった。

それにしても、この番長が教師に立ち向かっているとき、校内のいじめが無かったように思う。お坊ちゃん、お嬢ちゃんには分からないことかもしれないが。

今どき、こんな番長っているのだろうか。

Posted by 奥田健次 学ぶこと, 教育 |

2005.09.02

アスベスト(石綿)問題

まったく節操ない。アスベストによる健康被害が世間を騒がせている。自分が小学生の頃、あちこちで大型スーパーが出来上がり、その駐車場の天井や、場所によっては横壁まで、あの「羊のような」あるいは「カリフラワーのような」表面が、むき出しになっていたことを思い出す。自分は、まさに羊をなでるように、それに触ったことさえあるのだ。

そして、その頃すでに「アスベストは人体に悪い」と言われていたことを記憶している。もっとも「どのように人体に悪いか」までは、すぐに被害が出たわけでもないし、子どもの自分に限らず、世間にも実感が無かったのは無理もない。

しかし、そうしたバブル期から今日に至るまで、アスベストの使用に制限はなかったのだ。当時、このアスベストを推進した人たちがいたのだ。その一人が、桜井治 彦という私立大学の名誉教授。なんと、この桜井氏。先々月、環境省が設置した「アスベストの健康影響に関する検討会」の座長だったのだ。

--以下、引用。

<アスベスト>「健康検討会」座長の桜井氏が石綿協会の顧問 (毎日新聞)
http://news.www.infoseek.co.jp/topics/science/environment.html?d=01mainichiF0802m076&cat=2

 環境省が先月設置した「アスベスト(石綿)の健康影響に関する検討会」の座長を務める桜井治彦・慶応大名誉教授(労働衛生学)が、石綿製品の製造業者な どでつくる「日本石綿協会」の顧問を85〜97年まで務めていたことが1日分かった。桜井座長は、同協会が作成した石綿のPRビデオにも出演していた。桜 井座長は「顧問をしていたことは忘れていた。立場を考えると座長就任は断るべきだった」と話し、同日、環境省に辞意を伝えた。

 環境省は「桜井座長は産業医学の第一人者で、石綿問題にも詳しく、座長就任を要請した。今後、対応を検討する」としている。

 ビデオの中で桜井座長は、アスベストについて「(利点を考えると)ゼロにできるのか」などと語っていた。桜井座長はビデオについて、「当時はアスベストの代替品の開発が難しいとされており、使用はやむを得ないという雰囲気があった」と話している。

 また、92年には「石綿の安全使用は可能か」をテーマにした座談会(同協会主催)の司会などを務めていた。

 同検討会は先月26日に初会合を開いた。大手機械メーカー「クボタ」旧神崎工場(兵庫県尼崎市)の周辺住民が石綿の吸引が原因とされる「中皮腫」の被害を訴えていることを受け、死亡した住民の居住歴や職歴を調べることを決めた。【江口一、去石信一】[毎日新聞8月1日]

--以上、引用おわり。

これって、本当に節操のない話。大学の教員には、こういう連中が多い。13年間も顧問をしていて「忘れていた」はないだろう。

それで「お前がアスベストを推進していた張本人だろ」とマスコミに指摘されて、「忘れてた! 座長は辞します」という事後対応も、まったく情けない。

環境省から依頼された時点で、お断りするべきだろう。あるいは、引き受けるならば「自分は過去、アスベストの推進派でした。こんな自分でもよろしけれ ば、自分の犯した過ちを償うために、ボランティアで座長をやらせていただけませんでしょうか」と、自ら世間に問うのが人の道。やっていることすべてにおいて、真逆である。

自分の尻を自分でぬぐうこともできない名誉教授。名誉ばかりをアテにしていると、こんなことさえ出来なくなるのだ。

それにしても、小池百合子大臣と環境省も恥ずかしい。引き受ける方も引き受ける方だが、依頼する方も依頼する方だ。これと似たような構図は、世間では少なくないし、自分も身近なところで知っているので、また別の機会に書くことにしよう。

Posted by 奥田健次 社会 |